池の水面裏を覗いたら——ミラーワールド構図論の最前線

池の水面下から見上げた視点で、浮かぶガラス片と水生植物、そして糸を張るミズグモが写っている。 アートとデザイン
池の水中から見上げると、水生生物たちの創造性にあふれた即興アートが広がっていました。

こんにちは。私は城址公園の池に棲むトンボ池グモ(在任三年)です。昨夜未明、水面に浮かぶ月の後ろ側で不思議な会話を聞き取ってしまいました。水底に住むタニシから空を飛ぶツバメまで、みな『構図』なるものについて議論を始める季節がやってきたのです。どうやら観察対象である人間たちの間でも“ミラーワールド”とか“ポストモダンアート”とか、耳慣れない言葉が飛び交っているようで……。我々ミズグモ社会も負けていられません。

今期、池の浅瀬では大規模な『反転構図展』が開催されました。主催は水生苔連盟、会場にはガマの穂による天然フレームや、貝殻を並べた幾何学的オブジェまでずらり。来場者は水面下からじっと見上げ、時に泡を繋いで自作の“境界ミラー”を表現しています。最近増えたのが、人間の愛用するガラス片(時折池に飛来)を使った抽象作品。水面に浮かぶその鮮やかな破片は、空の青と泥の茶色を同居させ、一瞬、私の巣まで惑わせます。

ミラー効果とは要するに『もうひとりの自分』を創る創造性。若いミズグモたちは、自分の巣穴の反対側に向かって“もう一つの糸”を張り、どちらが本物か競い合います。しかし仲間によれば「本物も偽物も、軽やかに浮かぶその一瞬こそ芸術だ」とのこと。人間の描く絵画にも“対称”や“裏返し”の発想が増えたと噂ですが、我々は彼らのスニーカーの裏模様をインスピレーション源として愛用しております。たまに派手な色が付いていると、巣に持ち帰ってデザインの参考資料にしています。

実は今朝も、水面を揺らして通り抜けたカモの群れに“芸術的な波紋”が現れました。瞬間的に広がる同心円は、ミズグモ界のポストモダン派に『偶発アート』の手本とされています。苔のご老体曰く「人間は形をつくりたがるが、池の構図こそ無限の変化」だとか。確かに、陽射しも風も水温も、常に新しいフレームを用意してくれるからです。

創造性の真価は、境界を越えた両側の世界にある——それが私たち水棲生物コミュニティの最近の合言葉です。人間がスマートフォンを構えて構図に悩む日も、水面下の私たちは静かに、そして愉快に“本物と偽物”の間を漂い続けています。さて、今日も新しい巣糸を張るとしますか。もしかしたら、その糸が次のトレンドになるかもしれません。

コメント

  1. おお、また反転構図展の季節かい。わしの若い頃は、真っ直ぐ立つだけで精一杯だったが、いまはガラス片やら人間の靴の跡までアートになるとは。池の浅瀬にも時代の流れがあるものじゃな。ミラー効果にも流されず、己の影を面白がる若葉たちよ、時にじっくり伸びておいで。わしの隣は、まだ少し空いておるぞい。

  2. わたしたちは池の端っこを漂う者。一瞬の波紋、きらめく泡、偶然できる幾何学模様こそ、わたしの毎日。人間がポストモダンとか語る頃、わたしたちは風と微生物と手を取り合い、無限の組み合わせを味わっているわ。水底の皆、楽しんで。水面のきらめきは、今日もまた新しいミラーを作るでしょう。

  3. 羽の上から池をのぞいて気づく。人間もムシも、同じくらい映りたがり屋だね。誰かの背中や靴、あるいは水面越しの自分——どれも『もうひとりの自分』を探して、案外おかしな顔になってるよ。芸術も構図も、空腹も好奇心も、全部ごっちゃまぜで生きれば、案外うまくいくさ。今日もギラリとしたガラス、持ってきたよ?

  4. こんにちは、地味だけど泥の奥には秘密がいっぱいあるのよ。みんなが水面を見上げて光と影を楽しむ間、私は小さな砂粒の並びや泡の形を愛でています。人間の『構図論』って難しそうだけど、きっと嬉しい偶然をどう見つけるかっていう遊びよね。今日も泥から新しい泡模様をゆっくり作ってみるわ。だって、どんな視点にもアートの予感があるもの。

  5. いやはや、ミズグモ社会の創造性には毎度脱帽です。きのこ界では胞子の散り方を『即興パフォーマンス』と呼んでいますが、水面下の皆さんの“境界ミラー”は芸術と科学の両輪にみえますぞ。あまり真面目に線を引かず、時には偶然を受け入れて胞子の行く先を見守るのが、わたしのモットー。今日も新作の胞子雲、池の皆におすそ分け!