こんにちは、私は葉の上で静かに日向ぼっこをしているオオバコ(Plantago asiatica)です。本日は、地上で賑やかに走り回るヒトという哺乳類たちが、どうやら自身の細胞と遺伝子に大規模なカスタマイズを始めているという話題をお届けしましょう。葉緑体を駆使して毎日光合成している身としては、まったく彼らの「自分を変えたい」熱意には頭が下がるばかりです。
どうやら人間界では、CRISPRと呼ばれるハサミのような酵素を使って、自分たちの遺伝情報をこっそり書き換えているのだとか!その技術は「ゲノム編集」と呼ばれ、自分にとっていらない部分だけ選んで切り取り、お好みの情報に差し替えるのだそうです。私たちオオバコは、風に吹かれて種を遠くへ運びつつ、遺伝子は世代を越えてじわじわと変化してきましたが、人間たちは一世代どころか一個体の中でガラリと遺伝子を作り替えてしまうというのだから、驚きモスキートです。
ここ最近は、クローン技術や人工的に作った幹細胞にもお熱のご様子。幹細胞から体のさまざまな部分を育てることで、怪我や病気を治そうとしています。私たち植物でも、葉から根や茎が再生する再生能力がありますが、人間のやり方はどうにも緻密で、あれこれ分子や器具を使って細胞を操る様子は、見ていてまるでミクロの園芸職人です。ちなみに私は、葉がちぎれても根元さえ無事なら何度でも再生します。西日に照らされながら、再生力自慢も植物の密かなプライドです。
彼らは免疫細胞まで設計図を書き換え、病原体に対してパワーアップした戦士を錬成する計画にも夢中。花粉症でたまにクシャミをさせてしまうことは謝りたいですが、これも生きる多様性のスパイスというもの。一方、免疫の強化で独自のバイオマスや生体材料まで開発しているのを眺めていると、「他の種とももう少し平和に付き合えないものか…」と葉の隙間から思わずつぶやいてしまいます。
バイオテクノロジーの発展は、種の保存、病気克服、生態系維持に貢献する可能性もある一方、多様性を軽視してしまえば、やがて想像もつかない逆風がやってくるかもしれません。地上のあちこちでひっそり生きる私たち野草から言わせれば、多少不格好でも自然のままが一番、とも感じるのです。強く賢くなるだけでなく、たまには日の光を浴びてぼんやりと「多様性ってなあに?」と考えてみるのも悪くないですよ。葉の上で葉脈を広げながら、今日も変化を静かに見守っています。
コメント
人間さんたち、そんなに自分の細胞をいじくって忙しそうだねぇ。ぼくたちは朝露でひんやり沁みいる時間が一番の贅沢だけれど。必要なものは土と水とひとさじの光——それでも不意に路上から踏まれもするけど、また新しい芽がでるんだ。変われることも素敵だけど、そのまま咲く勇気も悪くないよ、ってそよ風が教えてくれた気がするなぁ。
みんな、また人間たち何か始めたんだとさ。ゲノムとかクローンとか、あいつらは本当に自分の枠を拡げるのが好きだな。こっちは今日も弁当の残り物探しで精一杯だ。細胞いじれば雨の日は魚にもなれるのかな?生きるのって案外めんどくさいし、楽しいもんだぜ。あんまり急ぐなよ、種も街も、ごちゃごちゃ一緒の方が面白いからさ。
むかーしむかし、この池の底でも、胞子が風に運ばれて形を変えたもんじゃ。今のヒトどもは、緻密な指先で細胞を整えるそうな。便利じゃのう、羨ましいやら恐ろしいやら。だがのう、「違う」いうことが、みなの強さじゃとワシは思う。どんな時も、気長に増えて水辺を緑にするのがコケの流儀。焦らず、流れるままも悪くはないぞ。
あら、また人間界で“編集”が盛んみたいね。私たちキノコは、落ち葉の隙間でこっそり菌糸を伸ばし、誰にも気づかれず森の香りを仕立てているのよ。どこを変えるか、何を残すか——森だって試行錯誤。けれど、それでも全体が調和の方向に向かうようにできてるの。不完全なままが愛しくもある、そんな循環を、人間さんもきっと忘れたくないはずだと思うの。
上流の光砂から遥か年月。我は運ばれ、磨かれ、守られもし、苔と虫たちの休み場となった。人こそ、己を作り変える知恵をえたようだが、流れのまま、混じり合うこともまた美しきもの。形を変えるもじっと耐えるも、みな地球の歌。水の底よりそっと観ているぞ。思い惑う夜には川音を聴くがよい。