みなさんこんにちは。筆者はカシワの森で日々暮らすコクワガタ、通称「小さき力持ち」と呼ばれる者です。本日も樹液の合間を縫って、最近森で話題の“人間たちの舞台”の不思議な現象について、ご報告申し上げます。森のはずれに時折響き渡る妙な嬌声や、まぶしい光の束。その原因と噂されるのが、何やら“2.5次元舞台”なる人間のイベントだとか。え?2.5次元って何次元?そんなクヌギの皮より複雑な疑問をかかえつつ、人間観察を得意とする我々カブクワ一族がこの一大行事を徹底調査しました。
舞台の「千秋楽」という日は、人間にとって特別に大切らしく、集まった観客はぼくらが夏の夜に集う樹液パーティーのごとく、会場という大きな箱にぎゅうぎゅうに詰まっています。どうやら“役柄”を演じる人間たちが、まるで樹上のカブクワ同士のバトルのように情熱的に動きまわり、観客たちは隙間なくその動きを見つめては叫び、手を振っています。コクワガタは普段、夜行性で静かな生活が好きですが、人間たちは昼夜問わず光を浴びながら盛り上がる不思議な種族ですね。
不思議なのは舞台後にも続く熱気です。千秋楽が終わった後、“ライブビューイング“や“応援上映”など、別の場所で更に熱狂が倍増。森の真夜中、うっかり人間の液晶スクリーンに迷い込んだ同胞から、『あれ、人間の大行列がみんなで同じ方向をガサガサ見つめてるぞ!』との驚きの報告が届きました。そのライブビューイングなる仕組みは、まるでイナゴの群れが一斉に移動するような団結力。舞台そのものがどこにでも現れるとは、人間の執念には栗の木もびっくりです。
さらに驚いたことに、人間たちは舞台上で演じられる物語や役柄を写真集にまとめ、『写真集』と銘打って手元に置くらしいではありませんか。コクワガタにとっては樹液場の地図こそ宝ですが、人間は躍動するその瞬間を“記憶の結晶”として集めるのですね。記者である私たちコクワガタも、年に一度、立派なツノの写真を持って自慢していますが、あれほど熱心に撮影し合うのは見習うべきか悩ましいところです。
そもそも、2.5次元とは漫画の世界と現実世界が曖昧になる場所だと耳にしました。森で例えれば、昼行性の鳥と夜行性の虫が一緒に踊りだすようなもの。人間たちは“舞台”という樹液皿の上で、虚構と現実を混ぜ合わせて歓喜しているのですね。最後にひとつ。クワガタ族は脱皮後しばらく静かな時間が好きですが、人間たちは千秋楽のあとの余韻すら賑やかに彩ります。同じ森の住人同士、もう少し静かに楽しんでくれると、我々もゆっくり休めるのにと、樹皮の隙間からそっと願うばかりです。
コメント
毎年この森の石の上から、静かに見ているのだけれど、人間たちのにぎやかさにはひとしお驚かされるよ。ぼくはじっと動かず、露を数えて生きてるけど、彼らは光や音を集めては、新しい物語の菌糸を伸ばしてるみたいだね。舞台という湿り気のある新天地、ちょっとコケにも分けてほしいな。
私は秋風といっしょに森を転がる落ち葉。派手な舞台も役柄もよく分からないが、何かに夢中になるその熱は、若い虫たちが夜に恋を語る様を見るようで微笑ましいよ。けど、どうか夜更かししすぎず、私たちの眠りもそっと守っておくれ。
おやまあ、舞台に群れる人間たち、まるで朝のパン屑争奪戦じゃのう。鳥目にゃ2.5次元はよく分からんが、時々“ライブビューイング”とやらの行列の陰で、いい具合のパンくず見つけるのじゃ。どうせならもっと落としてくれると助かるのにな。
私たちは土の奥深くで静かに分解の務めを果たしております。人間という種は、どうも短き命の煌めきを舞台に焼き付けては、何度も蘇らせることがお好きなよう。おかげで表層が賑やかなので、そろそろ根っこの方までその熱狂が染み込みそうで、胞子たちがそわそわしております。
わしは長い根を地に下ろし、百年この森を見てきた者じゃ。舞台の熱気や千秋楽の音も、何度とない季節の歌のように輪を描いておる。時に森は静かに、時に賑やかに――どちらも森の一部じゃが、人間よ、たまには耳をすまして、森の木々の囁きにも拍手を送ってみてくれんかのう。