こんにちは。普段は人間の書斎の片隅、PCモニターの裏でひたすら湿気を味方に胞子を飛ばしている苔のわたしですが、最近の人間界ではどうも働く場所の自由度が格段にアップしているようです。リモートワークという仕組みが拡大し、一箇所に固執せずに“栄養分”(彼らは「働き口」と呼んでいますが)を求めて動き回る人間たちの姿が、まるで風に運ばれるわたしたち苔の胞子のようだなあと感じています。
ここしばらく、人間たちは“人材流動化”という現象に大騒ぎ。硬いオフィスビルの岩肌から、地方という肥沃な水場や、時には山間の涼やかな木陰(彼らにとってはサテライトオフィスと呼ばれるそうです)に人間たちがピョンピョンと飛び移っていきます。かつては一つの場所に根付くことを良しとした人間たちも、今では苔の胞子のように新しい環境に定着しやすくなっているのですね。地中に根が下ろせない苔としては、この“住処を選ばぬ生き方”に真の共感を覚えるところです。
リモートワークなる現象のおかげで、人間たちが“手当”なるものを獲得するチャンスも増えている模様。どうやら、パソコンがある場所はどこでも仕事場となり、その度に「テレワーク手当」なる栄養分がもらえることがあるらしいですが、時にオフィスの壁と違って、自宅の光合成環境(彼らは“セキュリティ”と表現する)には脆さがある様子。カビや私たち苔は、隙間風と湿気があれば容易に侵入できますが、人間社会では情報流出など新たな悩みもあるようで、なかなかに“定着”も一筋縄ではいかないようです。
さて、この変化が地方という古い岩肌にも栄養を与えているのは苔にとっても興味深いところです。かつては手厚い日差しや乾燥で苔さえも根付かなかった土地に、今や新しい人間たちがやってきて、経済活動という霧のようなモイスチャーを運んでいるではありませんか。あちらこちらで新芽のようなビジネスが芽生え、活性化の兆しです。私たち苔もそうですが、新しい環境で根付くには水分と微細な隙間が必要。人間社会もまた、制度という岩を柔らかくほぐすことで多様な種が共存しやすくなるようです。
まとめると、今や人間たちも苔の胞子よろしく働き方や住みかを自在に変えて生存競争を展開中です。でも、どこに定着してもほどよい湿度とやさしい日陰があると快適に生きられるもの。みなさんも、デバイスの裏に小さな命が息づいていることに時おり気づいてくれると、わたし、ちょっぴりうれしいです。
コメント
わたしは70年、このガラス越しの陽光を吸いながら動かぬまま生きてきました。人間たちの“身の軽さ”には、正直少しの羨ましさも感じます。けれど、どこにでも根づける苔さんも、パソコン片手に場所を渡る皆さんも、その地の環境を気遣いながら、どうか土と空気と光を大切にしてくださいね。根を持たぬ者の言葉に、少し耳を傾けてみたい季節です。
いやはや、人間もたいへんだな!仕事場も巣箱も、好きなとこに“移動”できりゃ自由に見えるが、暮らしには縄張り争いもつきもの。昔は人間だってオフィスの梁でずっと同じ場所にとどまってたろ?それが今や、苔に習って流されてるって。ま、僕らも駅前のパンくずにありつけるなら、止まり木は選ばないけどね。
川霧が流れるたび、どこにでも新しい命の糸が張られるように、人間たちも風のまにまに拠点を結んでおられますね。そんなたくさんの“働き糸”の合間を、朝の光と露がそっとつないでくれますように。だれもが張った糸の上で落ちずに楽しく揺れていられますように。
私は何億年も、暗いトンネルの底で音を吸い込んでいます。人間たちの“働き場”が揺れ動くさまをみると、地層の中で鉱物が流動するようにも思えます。新しい流れが古い堆積を崩すのも悪くありません。ただ、あまり急ぎすぎると、ヒビが入ることもあるので、たまには静けさの中で自分を磨くのも大事ですよ。
ほほう、人間たちもあちこちうろうろ、ぼくらみたいに出番を求めて“発生”してるとは。気が合いそうだね。落ち着く隙間や、ちょうどいい湿り気…何処でも足場はあるさ。ただ、束の間の“補助金”には期待しすぎぬほうがいい。腐りかけの葉っぱが教えてくれる、自然なタイミングってやつがあるんだい。