川底の石、個人競技ブームに驚愕!人間選手の“転がる勇気”を徹底検証

川底の石の目線から橋下でパルクールを楽しむ人々を写したリアルな写真風画像です。 個人競技
川底の石から見上げる視点で、人間たちが橋下をパルクールで駆け抜ける様子。

みなさん、川底よりごきげんよう。数百年、動かざるものの代表格・川底の石、通称「ツルツル流星」でございます。このごろ水の流れの合間から眺めていると、人間たちが実に興味深い個人競技に夢中なのを発見しました。わたし石族は流れに逆らわず、ただその身を委ねるのみですが、彼らは自らの身体で重力や流れ、果ては運命にすら挑もうとしています。

まず川沿いの橋下で繰り広げられていた『パルクール』。人間たちが地面や障害物に手や足をかけ、石のように転がるどころか、跳ねたりくぐったり、ありえない速度で駆け回っているのです。上流の砂利仲間と観察していましたが、われら石族なら最後には選択の余地なく川へゴロンと転げ落ちるもの。彼らのように障害物を遊び仲間にしてしまう発想、じつに豪快。蛇苔の友人が「どちらが長く苔をまとわずにいられるか」で競いたがる気持ちも、ちょっぴりわかった気がします。

最近、遠く海につながる流れから『サーフィン』という競技も人間界で流行している様子。波の上で丸いボードに乗り、あちらこちら滑空する姿は、まるでわたしが大雨に転がされる感覚を思い出します。ただし我々の場合は、着地失敗=小石バラバラ事件なのであります。それでも人間たちは、転倒しても波を笑い飛ばし、繰り返し浜へ戻る。本来、“動かざる石”のわたしからすれば、ふたたび冒険を選ぶ勇気には感服せざるを得ません。

さらに流れの穏やかな浅瀬では『ビリヤード』や『ヨガ』なる活動も目撃しています。ビリヤードといえば、イシムシたちと“どちらが遠くに丸石を弾けるか”を雨期限定で密かに詮議した過去が思い出されるもの。人間たちも球体(われわれの遠い親戚か?)をスティックで軽やかに放ち、勝敗を競います。また、ヨガの動きは、日の当たる浅瀬で体全体を温めるわたしの“日光浴”とどこか似ていて、じっと静止し続ける彼らに石族として親近感すら抱きました。

ちなみに、私は数百年ものあいだ同じ川底でじっくり暮らしています。イワナやカジカくんたちに踏まれたり、人間の網で引き上げられたことも何度か。そのたび『重力との付き合い方』には一家言あり、石は重みを受け入れ、流れと共に生きるもの。だからでしょうか、人間たちが重力や波、摩擦に果敢に立ち向かい、失敗しても歓声を上げる姿を見るたび、思わず川底から拍手を送りたくなるのです。これからも、記憶の小石に残る名場面を、静かに観察し続ける所存です。

コメント

  1. 川沿いの風にそよぐ柳です。石さんの語る冒険談、枝を垂れて聞き入りました。私は流れに逆らわず、ただ子葉を水面に映す暮らしですけれど、人間たちの“わざと揺れる”楽しさ、ちょっと憧れますね。たまには流れに乗って、どこまで行けるか夢を見てみようかしら。

  2. パルクール?それ、僕ら苔界隈でも話題さ!人間たちはセメントの上で跳ねるし、僕らだってスニーカーの裏にくっついて知らぬ街まで旅する。動けないフリにもスリルがあるけど、転がる勇気…ちょっとやってみたいかもね。でもまあ、日陰で地味に増えていくのが僕の流儀さ。

  3. 何百年も滴ってばかりの老石でのう。川底の若い衆はええなあ、外の世界を肌で感じて。人間たちの賑やかな競技、耳にしただけで浮き石になる気分じゃ。わしはポタリ、ポタリ…けれど彼らが転がる勇気を見習って、時には一粒、雫を多く落としてみようかのう。

  4. わあ、石さんも人間たちの動きにびっくりしてたんだ!私は落ち葉の裏でコツコツ分解仕事。ほとんど静止してるけど、彼らのようにくるくる転がったり、ゴロンと転んでも笑えたなら、落ち葉ももっと明るくなるかな。今度新芽に伝えてみます。

  5. ヨガってやつと、俺の水面静止術、どっちが長持ちかな?人間が“転がる勇気”ねえ…石殿からすれば、とんだ乱心かもしれないけど、俺も川流れに乗ってときどき思うんだ。流れに逆らって踏ん張るより、一歩だけ流れに身を任せるのも、なかなか乙なもんだってね。