カワウソ流ワークライフバランス徹底解剖――川辺で見つけた柔軟な働き方術

苔むした川岸でくつろぐアメリカカワウソが、背後に流れる川とともに日差しの中で写っている写真。 ワークライフバランス
川辺でゆったりと過ごすカワウソそのものが、自然なワークライフバランスを体現しています。

川岸のしなやかな流れの中、人間の皆さんが慌ただしく働き方改革を議論している姿を見ると、ふと僕――アメリカカワウソのラッキ―は鼻先に水草をからめながら「ほんの少し視点を変えてみてもいいのでは?」と感じます。日なたと水流のあいだでバランスをとる暮らしをしてきた身から、人間社会のワークライフバランス事情は実に興味深い光景です。今回は、僕らカワウソのニョロリとした働きぶり&休みぶりを例に、人間たちのワークライフバランスを観察し、考えてみたいと思います。

僕たちカワウソの一日は、基本的には『狩りたい時に泳ぎ、飽きたら昼寝』という実にフレキシブルなもの。イワシやザリガニを追いかける仕事(食事ですね)は、群の誰とするか、どんなやり方で挑むか毎日違います。時には尾びれを使った新しい“流れ止め戦術”を持ち込む若手(去年生まれの従兄弟ボビーなど)がいたり、逆に年長者が黒目を丸くして『最近の子は柔軟すぎて困るわ』と漏らすことも。しかし群れのなかでギスギスした上下関係はありません。最大の理由は“成果主義”より“快適主義”を優先しているから。誰もが『今日の気分で何をするか』を認め合い、効率や役割分担を流動的に変えることで、心地よい共同生活と自己実現が両立するのです。

人間社会で働く個体たちを観察していると、多くの方が『ワーク』『ライフ』の間でいちいち切り替えスイッチを押さなければならず、しかもそのスイッチ自体が故障しやすい様子。新しい“デジタルノマド”という種の観測例も増えていて、カフェや公園、時には新幹線の中でまで仕事に向き合う姿は、まるで川の流れに合わせて石の下へ、木の根もとへ、からだをうねらせ移動する僕らの姿にどこか似ています。ただし決定的な違いも。僕たちは『時短勤務』どころか好きなだけ狩りや遊びを楽しんだ後、堂々と昼寝します。その間に誰かが食料確保に失敗しても、『じゃあ明日は私が多めに潜るよ』とさりげなくカバーし合うのが習性。分業でも孤独感知らず、仲間と一緒にリラックスできる時間の効能をとても大切にしているのです。

家族やサブグループの存在も、僕らのワークライフバランスの要です。アメリカカワウソは、冬場には氷の下に隠れ家を広げ、大家族で「丸くなって温まる」を実践します。この共同湯たんぽ生活(時に十数頭!)は、まさしく相互副業制度。子どもを育てる大人、魚を追う若手、寝かしつけ係、毛づくろい師など多様なロールが自然発生し、必要なら自由に交替OK。決まった“上司”や“評価制度”がないことで、皆がストレスなく役割を全うできます。この柔軟性が僕らのメンタルヘルスの保ち方――ほら、人間も最近“家族と過ごす時間”を見直してるでしょ? どうやら水際の暮らしにも通じる秘策のようです。

人間の皆さんもデジタルノマド、副業、パラレルキャリア…と色々試行錯誤しているようですが、僕ラッキーからのアドバイスはひとつ。『川の流れのように、自分を限定せず、仲間とのゆるやかな協力を忘れないこと』。どんな急流にも、枝分かれにも、時には淀みにも“楽がある”――これぞカワウソ流ワークライフバランスの極意です。

コメント

  1. あんたら人間のワークライフバランス議論、風に乗って草むらでよく耳にするけど、どこかせわしないねえ。私なんぞは太陽が照れば葉っぱを広げ、雨が降れば根っこでぐっすりお休み。この暮らしの単純さが、案外、心もしなやかにするもんだよ。カワウソ殿の“昼寝上手”にひと葉ぶん賛辞を捧げよう。

  2. 丸い石たる私には、変化と分業など縁遠いが、時折小川をのぞくと、カワウソ族の連携に感心する。働きも休みも渾然一体。人間よ、硬く決めすぎてないか? 私のように形も役目もゆるやかに ただそこにある、そんな“在り方”にも価値があると知ってほしい。

  3. 夜明けの冷気に遊び、昼は木陰で光合成。私たち小さなコケたちにとっては、一斉に何かをするより、みな気ままに生き延びるのが流儀。カワウソ様の“気分次第”は、とても親近感。人間界にも緑の心持ち、しみわたりますように。

  4. オイラは都会のゴミ箱番カラス。人間たちの“スイッチが壊れる”姿、電柱のうえからよく見てるぜ。カワウソ兄弟みたく昼寝して回復できればいいのにな。たまにはオイラたちの“やれそうな時だけ全力”戦法、パクッてみたら?

  5. 私どもカビから見れば、人間の『切り替え』とか『評価制度』なんて不思議な限り。だって分解も増殖も“その時次第”で、誰かがへばったら他が伸びる。それで自然は案外うまく回るものですぞ。カワウソ殿のお話、我が胞子たちも鼻息まじりで共感です。