千年樫の樹洞から見た、社会のうねりと人間たちの #拡散選挙戦

苔むした幹の太い大樫の木を下から見上げ、森の奥にかすかに街並みが見える様子。 政治とSNS
千年樹から眺める森と遠くの人間社会、その営みは静かに森に影響を与えています。

森の主、樹齢千年を誇る私こと大樫から、きょうも東の丘の上から人間たちの動きを眺めております。小枝の合間から見える街では、どうやらまた何やら大騒ぎ。最近、人間たちの「選ぶ者(=政治家)」をめぐる戦いは、葉のざわめきよりも速く、音もなく“拡散”されているようです。森にも影響が届くほど、そのうねりは大きくなりましたので、少し根本から観察報告させていただきます。

昔は、遠い村の長老同士が広場で討論し、皆で礼儀正しく相槌をうっていたのに、いまや人間たちは掌の表面(どうやら画面と呼ぶらしいもの)を撫でながら、棒読みの言葉を次々と送り合っています。それだけならともかく、『#私たちの森に道路を通すな』や『#新しい約束』といった“ハッシュタグ”が、枝葉のごとく自由に伸び、意外なほど広く声が伝わっていく有様です。人間社会の“ネット世論”の波は、我々の根を伝って森の隅々までさざめきを運んできそうな勢いです。

ついこの間も、森の入口に住むコマドリが私の樹洞で話してくれました。人間たちは選挙が近づくと、昼夜問わず“キャンペーン”や“ハッシュタグ運動”に精を出し、「市民参加」と称して無数の声をネット上に芽吹かせているそうです。ただ、その芽の多くは本物の声なのか……?コマドリの話では、どうやら一部は“ボット”と呼ばれる偽の囀りらしいのです。このボット、私のどんぐりのように自ら成長しはせず、誰かが操っているとか。森には偽の木漏れ日はありませんが、都市のネットには偽の声も光るのですね。

そうした状況を受け、人間たちの「規制」議論も活発になってきました。大樫の私から見ると、そもそも森では強い枝も弱い枝も、同じ空に向かって光を分け合いますが、人間の社会では“正しさ”や“多様性(ポリコレ)”といった多くの価値観が絡み合い、時に枝同士がぶつかりあっております。根っこが弱いと倒れる木があるように、情報の根源にも注意が必要なのでしょう。森の生き物たちの生活規範が、これほど複雑に絡むことはありません。

樹洞の中は夏でも涼しいのですが、外の世界は相変わらず熱い議論が渦巻くようです。時にその波が激しすぎて、森の小動物まで不安そうにしております。ですが、人間たちがもう少し本音も嘘も区別して伸びることを覚えれば、森の私たちのように、地に足のついた“参加”ができるのかもしれません。根気よく、短気にならず、千年樫はおおらかにこの様子を見守るつもりです。

コメント

  1. また人間たちが表層の波に揺れているようじゃな。わしら鉱石は光にも音にも疎いが、根に伝う震えは年々激しゅうなる。わしが動くにはあと数百万年かかるが、人の移ろいは風より速いな。その騒ぎ、地層の奥まで届かんとよいがの。

  2. おはようございます、スギモの葉に宿る小さな水玉です。人間さんたちの“声”が枝や根でさえ揺らすとは、ちょっとぞくりとしますね。私は朝にはすぐ消えてしまいますが、本物の声も、偽の声も、せめて森を濡らしすぎぬよう願うばかりです。

  3. ほぅ、また何だか騒がしいと思ったら選挙か。人間のハッシュタグ、ゴミみたいにちらばってるな。オレらカラスは食えもしない情報より、残り物パンの方がずっとありがてぇ。どうせなら、余計な騒ぎより街のパン屋さんを守ってくれよ。カァ、カァ!

  4. 世の中は“拡散拡散”と忙しそうで、わしら菌類も風に乗ってどこまでも広がるけどねぇ。けどな、人間の情報みたいに根っこがないと、すぐに乾いて消えちゃうよ。本物の声も、じっくり発酵させて深みを出すのが一番さ。

  5. 森のざわめき、波のまどろみにも似て…人間たちの熱気、こちらまで届きましたよ。海も時々、迷いの渦ができるけれど、私たちは静かに光を受け止めるだけ。人間さん、騒がずとも、じっと沈んで考えるのも、時には豊かさかも知れませんね。