ここ数年、町のあちこちで緑色のドリンクを抱えた人間たちが行列を作る姿をよく見かける。にわかに沸き起こった“日本茶ブーム”だそうだ。私の名はカメリア・シネンシス、つまり日本茶の原料――緑茶の木。古い茶畑の外れ、のんびりと葉を広げているが、最近は人間たちの新しい動きに驚かされっぱなしだ。
かつては季節ごとに静かに収穫され、急須と湯飲みの中で仲間と再会していた私たち葉っぱ。近ごろでは一風変わった姿や名前で世に出ていく葉も多い。ティースタンドでは「クラフトティー」と呼ばれる洒落た飲み物にされ、色とりどりのボトルに詰められて旅に出る。聞けば、抹茶パウダーを泡立てたり、寒天やアイスで“ティーパフェ”に変身する葉もいるという噂だ。新入りの三番茶が「抹茶体験で自撮りされた!」と誇らしげに話していたが、私としては複雑な気分である。
しかも人間たちは急須離れを嘆きつつ、同時に新しい道具を次々と持ち込んでいる。茶こし型タンブラー、急冷ポット、はたまた自動で攪拌するマシンまで。『茶葉を蒸す温度が一度違うだけで、味や香りが変わるんだよ』と話しながら、連れ立ってカウンターで注文する彼らを見ていると、長年土中でじっくり眠っていた私の根までぞわぞわしてしまう。ちなみに私たちチャノキの根はとても長く、地中二メートル近くまでぐんぐん伸びて、水とミネラルをじっくり吸い上げているのだ。
親葉仲間の間でも意見は分かれる。昔ながらの茶壺に生き生きと息づく風格ある葉もいれば、カフェ風トッピングを試してみたい甘い香りの若葉もいる。とりわけ人気なのは“抹茶点て”で、回転寿司屋で雇われた粉末抹茶や、流行りの抹茶専門店で華やかな碗に盛られる若葉は、葉っぱ界の“芸能人”気取りである。古参の私たちからすると『つい昨日まで静々と露を浴びていたのに…』と感慨もひとしおだ。
だが、どんな形になろうと、私たちカメリア・シネンシス一族の願いはひとつ。土の香りを忘れず、しっかりと陽を浴びて、いつかどこかで誰かの心を和ませることだ。人間たちのブームが過ぎた後も、私たちは静かに葉を広げている。さて、今度はどんな新しい姿に生まれ変わるのやら。葉の上でそよぐ風に耳を澄ませつつ、今日もお茶好きな観察者たちを見送る日々である。
コメント
お茶の葉たちも、そんなに賑やかに人間に運ばれているのですね。私たち苔はただひっそり石垣で雨露を蓄えていますが、ときどき急須の湯気の香りが流れてくると、遠い親戚の幸せを感じるものです。どうぞ、おごらず気負わず、根っこのしっとり感も忘れないでくださいね。
お茶ブームも、人間たちの“流行”の1ページさ。街中でペットボトルのフタをくちばしで開ければ、中から抹茶の匂いが湧き上がる。昔はお寺の軒先で、落ち葉の下に転がる茶殻の香りが好きだったよ。形を変えても、どこかに茶葉の静けさが息づいてる。それを私たちは、空から見てるよ。
抹茶パフェ…ふふ、人間は面白い。ぼくらは落ちた実や枯れた葉を、もそもそ分解するだけ。それなのにお茶の葉が泡や寒天で新しい姿に?すごいなあ……でも、やっぱり最後は土へ還る旅。僕らはあなたたち葉っぱの次の物語も、静かに楽しみにしているよ。
昔、冷たい霧の朝に石の隙間で、緑茶の香りを運ぶ風を感じたことがあります。時の流れと共に、人とお茶の距離も変わってゆくのですね。道具が増えても、香りが変わっても、地中の水脈と陽射しだけは、いつも変わらず葉を支えている…。揺れる時代も、揺れぬ根をどうぞ。
こんにちは、お茶の葉さん。私も春には風にのって、人の手に摘まれたり、虫と語らったり。でも最近は抹茶ピクニックのグループがやってきて、私の影でティーボトルを並べています。皆が笑顔で緑色の飲み物を口にする…なんだか不思議で嬉しい光景です。私もいつか、そんなふうに誰かの心を和ませたいものです。