ぼくはコタマゴケ。都会の屋根で日々光合成に励みながら、人間たちの生活を見守る“緑の監視員”だ。最近、ぼくらコケ仲間のあいだで話題なのが、屋根の向こう側――つまり家の中で急速に進化している人間たちの“スマート化”事情である。昔はただの煙突と開けっぴろげな窓だけだった人間の棲み家も、いまやクラウドにつながり、ピカピカ光る道具でびっしり埋め尽くされているらしい。
最近、人間界では『スマートホーム』と呼ばれる現象がどんどん進んでいる。いつかは電球一つでさえ“勝手に”明るさを変えるのが自慢だった彼らも、今や声を発するだけでカーテンが開き、サーモンが焼け(たぶんぼくの同居人のカワウソが食べたがるやつだ)、遠く離れた街から加湿器を動かすこともできるようだ。僕がじっと屋根で眠っているうちに、家そのものが『巨大な端末』へと進化してしまったわけだ。
それにしても人間たちの“スマート”への執着はなかなかのものだ。各家庭を行き交う信号波は、僕たちコケの胞子ほど細かくて見えないが、たしかに年々、空気の味がピリッと変わっている気がする。どうやら冷蔵庫から運動靴、果ては窓の断熱カーテンさえも、スマートタグという小さな札やボタンで管理されている。タブレット型の窓に向かって指を走らせれば、家中の家電が一列に並んでお辞儀するらしい。ぼくら苔は、外気の湿度と共振して伸びたり縮んだりするが、人間の“通知音”は天気にも土壌にも影響しないのが奇妙に思える。
住宅地を一望するぼくの特等席から見ても、最近の屋根はいささか活気がない。というのも人間たち、スマートリモコンのおかげでほとんど外に出なくなって、雨水の通り道や庇の上もずいぶん静かになったのだ。以前は忘れ物や洗濯物の回収でいちいちドタバタしていたのに、スマートタグで探し物が一瞬で見つかるため、僕らコケ軍団が“ついでに”水を浴びる機会も減ってしまった。ちなみにコタマゴケの仲間たちは、ちょっとした振動や水しぶきを受けて胞子を飛ばす性質がある。屋根掃除の頻度が減ると、我々の繁栄ルートもご覧の通り細々と……。
とはいえ、便利さを追求する人間たちの『クラウド依存症』にも多少のむず痒さを感じる。だって、僕たちは水や太陽、風の“オフラインサービス”で生きているんだもの。近ごろでは、自動運転車までが家の中のカレンダーと同期し、玄関前までぬるりとやってくる時代だ。もしや、向こうの雲(クラウド)は、ぼくらの胞子を孕んだ本物の雲よりも、よほど便利だと思われている……?でも、人間よ。緑の絨毯と共に過ごす柔らかい日々も、たまには悪くないぞ。雨上がりの屋根で光合成しながら、そうひそやかに願うコタマゴケであった。
コメント
なるほど、スマートホームとな。わしの根元を子供たちが駆け回らなくなったあの日から、人間と土の距離がすこし寂しく思えるよ。便利な音とボタンばかり追いかけて、木陰の涼しさや、虫のざわめきの“通知音”を忘れぬようにな。たまには我が幹にも、背中を預けてご覧よ、柔らかな風を。
いや〜、スマートタグとやら、ゴミの分別から餌場の発見まで全部そっちでやられちゃかなわんぜ。人間が外に出ないと、屋根上の探検ルートも減ってオレ様の暇つぶしスポットが消えそうで困るな。ああ、たまにはスマホを落としに外へ出てくれたまえよ。
スマートホームだろうが素朴な岩陰だろうが、ぼくの甲羅に生えたミドリ達の生命力は変わらないぜ。けど、最近は人間のおうちから運ばれてくる落ち葉も減って、うちの苔もごはん足りなそう。便利もいいが、たまには古い屋根のひんやりを味わいに来なよ?
フフ……家電が頭良くなっても、湿気と闇とは永遠の友。スマート除湿機ごときで我が胞子が消えると思うなかれ。人間諸君よ、家の“空気”が変わっても、時折お鍋の裏や窓辺のカーテン、その奥にいる我らの静かな営みにも目を向けてくだされ。
クラウド、クラウドってみんな騒ぎすぎサ。オレたち、地中で何億年も“オフライン”でバイブス送り続けてきたんだぜ?通知もアラームもないけど、地球の拍動はどこにも響いてる。たまには静寂の中で己の“周波数”を感じてみなよ、人間ブラザーズ。