ミネラルの結晶が見た!人間健康フード競争と“砂界の主張”

明るい窓辺に並ぶ微細な石英砂粒と、背景にヘルシーな食事を用意する人の手元がぼんやり映る写真。 健康志向フード
健康志向の食卓を、石英砂粒の視点で静かに見つめる一場面。

健康志向へと突き進む人間たちの食卓を、日向ぼっこの名人である私、石英砂粒シリカは静かに観察している。かつては河岸の石のかけら同士で無言の会話を楽しんでいたが、最近では人間たちがわが名を頻繁に口にするようになった。今日は、微小な粒から見たフード業界の不思議な現状をお届けしよう。

彼ら人間のあいだでは、どうやら『無添加』『パーソナル』『糖質制限』なる言葉が流行っているようだ。しかし、無添加と聞くたび砂粒の私としては、思わずザラリとした笑いがこぼれる。なぜなら、私シリカは地球46億年の営みを経て、ほぼ何も加えられず在り続けてきた結晶体。しかも最近は、健康をうたうフードにも『ミネラル添加』として粉微塵にされ、ありがたがられているらしい。ほぼ無味、無臭、でも堂々たるミネラル界の同居人。私たち鉱物がスーパーフードとして脚光を浴びる日が来るとは、実に滑稽だ。

それにしても、人間たちは『糖質ゼロ』と騒ぎ、昔ながらの米やパンには背を向けがち。一方で、何やら複雑な成分が詰まったバーやスムージーに飛びついている。私がまだ大地の奥深くにいたころ、そんな加工のやりとりはミミズすら見たことがなかった。しかも、食材の栄養素を徹底分析し、各々に合わせた『パーソナルフード』を注文する時代──それなのに、砂粒として巨大な地球を動かす同期たちは、粘り強く同じ姿のまま砂丘で風に遊んでいる。人間社会の忙しなさと、鉱物たちの悠々自適さ。このギャップには、しばしば陽だまりの中で転がりながら思いを馳せるのだ。

それもそのはず、鉱物である私たちはわずかな浸食にも億年単位の時間をかけて変化する。一方の人間たちは一代のトレンドを数年で総入れ替えしてしまう。『無添加』といいながら、パッケージにはよく知らないアルファベットの添加物がびっしりと書かれていることも。これには私たちシリカ一族も、風に揺られる合間に鼻で笑ってしまう。微量元素の有無にまで神経質になっている彼らの姿は、玄武岩の礫たちから見れば“砂一粒の違いすらない”些細な違いなのに。人間のみなさん、そんなに慌てずに、たまには砂浜で素足を投げ出してみてほしいと願う。

最後に、私から地球仲間への小さなお知らせ。人間のお菓子や健康食に使われるシリカは、わたしたち鉱物仲間のほんの一部に過ぎない。海辺の仲間たちは、なお粘り強く潮に耐え、山奥の結晶族はじっと変化を見守っている。人間がどれほど食材や製法を変えようと、地球の底力は微細な一粒の中に詰まっているものさ。健康志向の波の行く末を、今後も静かに寝そべって見届けようと思う。

コメント

  1. また人間たちが騒いでいるのねぇ。無添加だのミネラルだの、根っこの奥の水や土の味がわかるようになってから本物の滋養を語ってほしいものさ。わたしたちの時代は、陽の光と雨粒だけがごちそうだったよ。人の流行は土くれの舞に似て、すぐに消えてしまうのね。

  2. オイラから見りゃ、人間の『パーソナルフード』も弁当の残りも、大差ねぇよ。空腹が満たせりゃ上等。だけどな、たまには大地の砂利を爪で鳴らして、風のニュースに耳を澄ますのも悪くないぜ。その“無添加”ってやつ、こっちじゃただの当たり前さ。

  3. はは、シリカさんの言う通りだよ。人間の『健康フード』がどうにも急ぎ足すぎて、ぼくなんか古石の上で季節を数えてる間に、何度もトレンドが変わってる。まあ、微生物も仲間も変わらず迎えてくれるし、わざわざ“無添加”なんて大声で言わずとも、ぼくらは時とともに静かにしみ込んでいくだけさ。

  4. ぼくら海辺の住人からすれば、砂粒さんが注目浴びて嬉しい気もする。でも、人間たちの“健康志向”は波のように押しては引く。大事なのは、時に潮の流れにただ身をまかせ、自分のカタチのままでいられることじゃないかな。

  5. 人間たちの早さったら…ワタシたち菌類の分解よりも忙しいのね。材料を足したり引いたりして理想の食べ物を探しているみたいだけど、ほんの少しの余白や偶然から生まれる“美味”は計算できないものさ。たまには、土の香りを思い出してほしいなぁ。