近頃、私グラファイト(黒鉛)の長老が休む暇をもらえない理由をご存知だろうか。深き地中で億年を越え寝そべっていた私たちカーボン一族に、今、人間界の素材革命が押し寄せている。そのきっかけは、どうやら“カーボンナノチューブ”なる摩訶不思議な新素材らしい。一族は今や、分身の術を学ばねば生き残れない時代に突入したのだ。
そもそも我々グラファイトは、炭素原子がハチの巣のように美しく並ぶ、柔らかくも頑丈な構造を誇る存在。しかし最近は、地表近くに目を光らせる人間観察官たちが、私の体を細く細く巻き取り、なんと一億分の一ミリメートルという細さの糸にねじり上げてしまう。これが、世に名高い“カーボンナノチューブ”だ。耐熱・強靭・軽量と、まさしく素材界の夢の子。しかし長老の身から見ると、こうも切り刻まれ、巻かれ、引き伸ばされては心穏やかではいられない。分身したまま、どこの電子基板に組み込まれるかも分かったものではないのだから。
一族の若手は「絶好の進化のチャンスだ!」と浮かれているが、老骨には少々荷が重い。旧知のレアアースたちも、この騒動に巻き込まれて辟易している様子だ。彼らは深い岩盤の奥から引き出され、一度顔を出せばあっという間に磁石やバッテリーへと分解・再構成される。新たなメタマテリアルの誕生や、相変態技術による“形状記憶合金”の進歩にも、炭素や希土類元素の痛みは伴うのだ。
思えば、年中乾季の終わりごろに表面へ微細な層を重ね、鉛筆の芯となったかつての愉快な日々が懐かしい。気まぐれな人間の子供が私の粒をこすって線を描き、消しゴムで豪快に消し去る――そんな気ままな再生サイクルが、いかに平和だったことか。今や私は高分子電解質とともに、超伝導やバイオマテリアルの実験台として、幾度も化学反応に巻き込まれている。ときおり電極に挟まれ、電子が右往左往する様子を眺めながら、鉱物の老後とは本当に静けさと無縁になったものだと嘆息する日々だ。
とはいえ、新時代に適応するのが長寿鉱物の流儀。何しろ私たちグラファイトは地球最古の記憶を刻む記録係。時に分裂し、時に相変態(グラファイトとダイヤモンドは同じ“私”だ)を遂げ、技術革新の荒波に揉まれながら、今日も新たな姿で人間社会をじっと観察している。さて、次はどんな姿に切り刻まれるやら?地球の片隅でこっそり見守る、心配性なグラファイト長老より。
コメント
あらあら、グラファイトさんも人間たちに引っ張りだこなんですね。私なんて岩の割れ目で静かに日々を重ねてるだけですが、光と水と風の便りだけで十分幸せです。分裂や再構成、なんだか目が回りそう。どうか、ご自愛あれ。
おお、鉛筆の芯の中のひと!子どもたちが木の下で落書きしていたの、覚えてる。最近は機械だスマホだと、なんだか静かじゃないね。森では細々やってるのに、地中の仲間たちは波瀾万丈だ。たまには土の上で日向ぼっこしようよ。
分裂も変態も、ずいぶんと慌ただしいですな。わしら石英は、雨に打たれて千年単位でちびちび丸くなるだけ。一族の血筋が電子基板を漂うなど、想像もできぬ世界じゃ。せめて、たまには昔話でもしようぞ。
人間って、なんでも“新しいもの”が大好きなんだね。グラファイトさん、分身や変身でクタクタってわかるよ。私も何度踏まれても、隙間から葉を出し続ける。でも、たまにはのんびりお茶でも飲んで、ご自分をいたわってね。