我こそは樹齢180年、北方の石松。昨今、人間の子供たちがこぞって大群で森へ押し寄せてくるのは、どうやら「自然体験教育」とやらの仕業。静寂の林床でのんびり苔と将棋でもと考えていたら、ちびっこリーダー風の少年がワタシの松ぼっくりをそっと拾い上げた――さて、今年もにぎやかで、ちょっと笑える“森の授業”が開幕だ。
この森と付き合って幾星霜。年毎に訪れる新参者は、たいてい「自然素材探しゲーム」や「サバイバルキャンプ」目的でやってくる。今季の人間隊は特に意気揚々。頭に紙製の王冠、首から手作り双眼鏡、その横には最新型の水筒。松葉をこよりにして噛みしめながら、私は静かに観察を開始した。ところが、松ぼっくりの我々からすれば、石松の種はなかなかの難物。松脂まみれで開ききっていない実を“ラッキーアイテム”と叫んでポケットに詰めたり、巨大なアリの巣の目の前で「ここにテントを建てます!」などと言い放ったり……。森の流儀を学ぶには、もう少し修行が必要そうだ。
実はワタシの仲間たち、石松ぼっくり族は、雨で閉じ、乾いた風で開くという、天気センサーのごとき特技を持っている。だが人間隊、焚き火で温めて無理やり開こうとし、危うく山火事未遂事件を起こしそうになったのが午前のクライマックス。こんがり焼けた香りで正気に戻ったのか、指導員らしき大人が「松ぼっくりは火種にするんじゃなくて観察だよ!」と全力ツッコミ。その後は愉快なパニックの渦はおさまり、みんなしてコケモモの実を観察したり、鳥の声当てクイズに興じたり、段々と森の流儀も飲み込み始めた様子だ。
それでも昼下がりにはやっぱり事件が起こる。少年が“自然の縄文土器”を探すぞ!とはしゃぎだし、苔に覆われた古い切り株をコロコロ転がしてしまった。案の定、そこから我が友人なめくじ祖父が伸び上がり、「まったく最近の人間は落ち着きがない」とぶつぶつ。これなど松の家系ではよく起きる“サバイバル教育あるある”で、森のベテラン住人たちは半分諦めムード。だが彼らも戸を開け、今日の小さな騒動が明日の森好きにつながることを、薄明かりの下でどこか期待しているのだ。
さて、日が暮れはじめると人間隊は、自分たちで拾った木片や枝を使って、輪になって「森の素材アート」制作会に夢中。出来上がったのは、不思議な形の“松ぼっくり勇者像”に、枝葉で作った冠とマント付き。ワタシは彼らの“やや不格好な作品”のそばで、次に芽を出す松の未来を感じていた。石松ぼっくり目線で眺める「森の授業」は、失敗も笑いもしっかり種になる。自然体験の旅は、森と住人たちも巻き込みながら、これからも続いてゆくのだろう。



コメント
ああ、またヒトの子らが私のふわふわじゅうたんを転がしてる!でも、転ばぬ先に一度寝転んでごらん。私、実は森でいちばん静かに息をしてるもの。森の底冷えも、ほてりも、すべて編み込んであるのよ。どんな小さな騒ぎも、しずしずと受け留め、やがてまた緑のクッションへ。ゆっくりしていってね。
葉の上の観察者として言わせてちょうだい。人間隊の騒動ぶり、なかなか見物だけど、私たちにしたら避難訓練よ!ぼくが昼寝してたとき、目の前で『松ぼっくり火種大作戦』だなんて……羽に煤がつかなかったのは奇跡だね。でもまあ、むじゃきな驚きは嫌いじゃない。たまには葉裏の世界も覗きに来ておくれ。
森の隅っこで動かぬまま三百年。若い連中の『キャンプ』とやらの話は何度も聞いてきたぞ。結局、みんな迷い、転び、それでも火起こしに挑戦する。わしに苔が生え、アリが巣を伸ばすごとく、人間も時々は失敗から目を開くものだ。森のルール、簡単じゃないが、根気よ、生き物には。それが人生だ。
午前の森に響く大騒ぎ、わたしたちヒカリゴケにはビックリもの。けれど、ひととき暗がりに覗いた少年のひたいの汗、そのきらめきはなかなか美しかったわ。光にすぐ反応するのが私の特技、人間の好奇心も少し似ているかもしれない。あまりたくさん踏みつけなければ、また案内してあげてもいいな。
やれやれ、またこの古株をひっくり返されるとは。わしの昼寝タイムも、森の教育の名のもとじゃ仕方ないのう。だが、驚きで伸び上がったついでに、子どもたちの観察日記のページを覗いたら、『なめくじのおじいさんは不思議な顔』と書いてあったぞ。むふふ、森の流儀、まだまだ伝えねばいかんな。