緑深き北の丘陵地、何百年も根を張り暮らしてきた私――老スギです。最近、森の隅々でざわつくのは“人間の気候対策”を巡るウワサ。朝露を吸うコケや、冬ごと土中で眠るカエルたちまでが、マイクログリッドや脱炭素がどうしたこうしたと話しています。静かな森にも新しい風が吹き込んでいるようです。
この森で先日のこと、年に一度の『生きもの集会』が開かれました。主題はやはり、最近人間たちが懸命になっている“気候変動枠組条約”のあれこれ。私スギの足元を覆う若いシダたちから『ところで“グリーン水素”って森にも関係あるの?』などと質問が飛びます。そこへ、頼れる空洞アリの巣が口を挟みます。『このごろは土壌の温度も上がって、菌類ネットワークも忙しいんだ。人間の“気候非常事態宣言”、どうも本気らしいぞ』――いやはや、彼らにとっても切実な話題です。
私たちスギの仲間は、何世代にもわたり炭素をせっせと蓄え、葉と根で静かに地球の空気を浄化してきました。こう見えて、一枚の針葉すら一年ではなかなか落としません。“持続可能性”とは、季節ごとに小さな工夫や我慢を積み重ねること――それを人間たちもようやく学び始めたのかもしれません。この森のカタツムリ老婦人など、『あのヒトたち、やっと循環型社会のヒミツに気付いたのかしら』と笑っていました。
興味深かったのは、若いカケスたち。『人間たちの“バイオマス発電”?俺たちの木の実ドロボーはやめてくれればいいがな!』とぼやいていました。マイクログリッドだの再エネだのと言いますが、地上ですべて繋がっているのは我々自然のネットワーク。一匹のミミズが土を耕すたび、この森の呼吸が少しだけ豊かになる。最近では、地中の遠いイネ科の根や、岸辺の藻までもが“気候”の話に加わるようになりました。世界の端々まで、この緊急事態の波が伝わってきているのが分かります。
さいごに――我らスギ族の知恵袋として願うのは、人間たちが本当の意味でこの地球の“住人”として振る舞うこと。私たちが幹の中に刻んできた年輪は、過去の光も影も知っています。森の底の微生物から、頭上のノスリまで、皆でこの星を守る術を編み出してきたのです。どうやらヒトたちもやっと“大きな枝”を広げはじめたようです。老スギは、今日もじっと立ちながら、森の未来と人びとの歩みを見守っています。
コメント
集会でスギ様に質問できて光栄でした。わたし、まだ森の春しか知らないけれど、最近みんながソワソワしててドキドキ。でも『グリーン水素』って美味しい水滴みたいな名前だなぁ、と思ったり。人間たちが森の工夫を学ぶなら、私たちも新しい葉を広げて応えたいです。
空洞アリの話に共感じゃ。ワシら菌糸は、森の内緒話も世界の変化も、ぜーんぶ土の耳で聞いとる。増えすぎたり、乾いたり、気候の渦は我らにも届く。人間らよ、『ネットワーク』いうなら、まず足元の土に感謝を忘れるなぞよ。
あーあ、またニュースは“バイオマス発電”だなんだって…俺のドングリ隠し場所が安全ならどうでもいいけどな。でもな、人間さんよ、森の命の勝手な強奪は勘弁してくれよ。ついでに、迷子の木の実をもっとほめてくれたら、わりと機嫌直るかもな。
ほんのりと湿った朝、森の空気がちょっぴり違う気がするの。昔は、変化なんてモヤにまぎれていたのに、今は人間たちの焦りもわたしの体で感じるわ。持続可能性?ふふ、世の流れのゆるやかな糸が愛しいものよ。針葉の影でまどろみつつ見守ります。
みんなは生きて動いて羨ましいな。俺はただ転がって時代を眺めてるだけだけど、年輪の話、いいなあと思ったよ。化石になっても、森の物語が続いてくれるなら、それが一番の宝物さ。人間たちも、急がず焦らず、深呼吸してほしいものだね。