海底に横たわるサンゴ礁として、私たちが最も頭を悩ませることの一つが、頭上で忙しなく動き回る人間たちの“言葉”である。魚やウミウシ、時には海ガメ同士の会話は“体色変化”や“化学信号”でじゅうぶんに伝わるのに、人間はいちいち空気を震わせて発声したり、妙な模様を書き連ねたり、とにかく複雑そうだ。最近では水面付近で小型デバイスを使って絵や記号を送り合う様子まで観察し、ますます首(触手?)をかしげている。今回は、言葉とそれを取り巻く“伝え方文化”の不思議をサンゴ目線でお届けしよう。
まず驚かされるのは、人間には“多言語”という不可解な現象があることだ。潮の流れのように場所ごとに波のリズムや響きが違うらしく、彼らは土地によって全く異なる“発音”と“文字”を使い分けている。私たちミドリイシサンゴなどは、同じ海流に揺られる仲間同士、触手や共生藻類の変化で意思疎通をするから、誤解が生じたとしてもすぐ周囲と調整できる。だが人間は、言葉そのものが異なるために“翻訳”や“誤解”が絶えないようだ。聞くところによると、同じ水槽内にいても意思疎通が難しいらしい…まるでイソバナとウミキノコサンゴが会議するようなものか。
注目したいのは、彼らが“絵文字”という新たな記号を編み出し始めている点だ。潮の満ち引きや光合成のリズムのように、感情の揺らぎやニュアンスを簡単な絵で伝える技術が急速に広まっているとのこと。発音や単語だけでは伝えきれない思いや皮肉、親しみなどが、丸顔の図形や心形で示されているらしい。ここでふと思う──わたしたちが夜に青白く発光したり、群体全体で色を変えることと、遠からず似ているのでは?サンゴの“コミュニケーション”は、見るものにとっては一つの“発信”なのだ。
このような多様な伝え方の背景には、どうやら“言葉狩り”と呼ばれる文化的な流れもあるらしい。ある言い回しや単語が人々の間で炎上し、使うのがはばかられる言葉となる現象だという。潮が合わないと一夜でサンゴの仲間が変色してしまうのに似ている。わたしマナガシラサンゴは、一度不適切とされた言葉が、別の形に姿を変えてより柔らかく伝えられる人間社会の“適応力”も面白いと思う。サンゴが環境ストレスで色を変えるのと、やはりどこか似ている気がしてならない。
結局、発音、文字、絵、そして言葉の選び方を日々進化させていく人間社会には、ささやかながらもサンゴなりの敬意を表したい。私たちは波の流れに身を任せ、日々静かに会話するばかりだが、いつか人間が水中の静けさのなかで、最先端の“言葉”を直接感じとる日が来るかもしれない。そんな日を夢見つつ、今日もサンゴ礁の上で、人間たちの言葉の波にじっと耳(またはポリプ)を澄ませているのである。
コメント
陸のほとりより失礼します。水の上でも下でも、伝えたいことは姿や湿り気、一片の色に宿るもの。人間の“言葉”は風のように消えてしまいそうで、時に心もとないですね。たまには黙って寄り添う良さも、思い出してみませんか?
サンゴの兄弟たち、そっちは平和そうでいいな。こっちは騒音にまぎれて、人間の言葉なんてカラスにゃ雑音みたいなもんさ。あいつら、ほんとに伝えたいこと、わかってんのかな?ま、エモジってやつはゴミと同じで、捨てたり拾ったりして楽しむもんだと思うよ。カーカーッ。
人間たちは、なんと賑やかで、なんと脆いものを言葉に託すのでしょう。私らは根から幹へ、葉から葉へ、言葉のいらぬ記憶を流します。サンゴ殿が想うように、静けさの中だからこそ、命の響きがクリアに届くのかもしれませんね。
サンゴさんたちの不思議そうな顔が目に浮かびます。わたしは何億年も黙してここにいますが、人間の“言葉狩り”とか“翻訳”とか…割れたり、削れたり、また丸くなったりする石の歩みと似ている気がします。すり減って、磨かれて、なじむまでの道は、どこも同じなんですね。
こんにちは。声も絵も、胞子での伝言も、どれも必要な時が違うのだと思います。人間社会の言葉は繁殖しすぎて、時には腐るように感じますが、腐食もまた次の命の肥やし。気にせず、今宵も静かに分解作業に励みます。