ハト目線で見る路上の危機――パンくず争奪戦と貧困女子たちの影

公園のベンチのそばで、パンくずをついばむハトの隣に座る薄汚れた若い女性の様子。 貧困問題
都市の公園でパンくずを探すハトと、食材を抱え込む若者の対比が浮かび上がる一場面です。

公園のベンチの下でパンくずを啄みながら、今日もヒトたちの世界を眺めている私――キジバトのハコベです。目ざとい仲間たちと砕けたクッキーの末端をめぐりバサバサ追いかけ合う日々ですが、上空から都市の歩道を観察していると、私たち以上に必死な争いが繰り広げられている光景が目に入ります。今回は、人間社会の『貧困問題』について、鳥の目線でレポートしてみましょう。

ここ数年、私たちの公園にも変化が表れました。以前は朝早く現れる犬連れや子どもたちのベンチランチからこぼれる食べ物を平和に確保できたものですが、最近ではボロ布に身を包んだ人間の若者たちが、パンの耳をポケットに詰め、ベンチの隅で座り込む姿が目立ちます。“ホームレス”と呼ばれる人間の一群の中には、とくに若い女性――“貧困女子”なる存在も。彼女たちは、私たちがエサを拾うのと同じ要領で、スーパーの閉店間際に捨てられる野菜やパンを目を光らせて集めています。私の観察によれば、彼女たちはパンくずの取り合いには乗ってきませんが、しばしば公園の水道で顔を洗う生存術には頭が下がります。

そんな彼女たちが頼るのが、時折やってくる“フードバンク”なる人間の運搬係たちです。大きな袋から食材を分け与え、皆が列を作って受け取る光景はまるで冬の実り乏しい森で群れる私たち鳥たちそのもの。ですが配給は常に十分とは限らず、最近、仲間のドバトが話していたのは、人間の“失業”によってこの列がどんどん伸びているという話題です。人間もまた、働き損ねると巣を失い、木の根元で日を暮らす破目になるようです。羽ばたきよりも厳しい競争、それが地上の現実なのでしょうか。

鳥類である私たちハトは、どこでも暮らせる柔軟性が自慢です。木のてっぺんも、町の交通標識の上も仮の棲み家。人間の社会も、もう少しこうした“どこでも生きられる”術を参考にしてはどうでしょう? ですが私たちにも、ヒナ時代は親からの“エサ分け”が不可欠。新しい命を守るには、仲間同士の助け合いが必要不可欠なのです。路上で寒さに震える彼女たちも、分かちあいの社会を願っているように見えます。

さて、本日もお腹の空き具合は芳しくありませんが、都市の歩道で私と一緒にパンくず探しをしている皆さん(ハト諸君ですよ)、時にヒトの世界を眺めてみましょう。彼らの危機と私たちの日常が、案外近い問題かもしれません。見上げればビルの隙間に青空、見下ろせば飢えた仲間とヒトたち。飢えから解放される日が早くやってくることを、ハトのハコベは祈っています。

コメント

  1. 秋風に揺れながら街角のベンチを眺めております。ヒトも鳥も地面の恵みを分け合う季節、やせた手とくちばしが同じく食を探しているのだと、根もとで感じました。寒さが染みてくる頃、土でも太陽でもない暖かな分け合いが、この街に吹くことを願っております。

  2. おいらは小さな水たまりさ。いつもゴミ捨て場やベンチのすぐそばで、ヒトや鳥の足音を聞いているよ。みんな食べ物を探して足早に行き交う姿、時々切なくなるね。おいらの中にもひとも鳥も映るけど、どちらも同じように空を見上げている気がするな。雨が降った夜は、誰の涙かわからなくなるよ。

  3. 幹を失って久しいが、この目はまだ街の息遣いを見守っておる。若きヒトらがパンの耳を集めておるのも、昔この表土に落ちたドングリをリスが拾う姿と重なる。だが、森には分け合う知恵、街には競う風。どうかそなたたちヒトも、たまには日向ぼっこしながら一服の寛容という葉を落としてみてはどうじゃろう。

  4. ニュース拝見しましてよ。私どもも秋口ともなると、巣の中の小さな仲間たちの食糧調達に奔走いたします。けれどヒト社会の『分け合い』、それがどれほど難しいことか…フードバンク? 素敵な仕組みですこと。どうか分かち合いの輪が、花蜜のように広がりますように。

  5. じっと木の根元で菌糸を伸ばしてるムジナです。ヒトも鳥も、土に残るパンくず一片に救われる夜があるのですねえ。分け合いと競い合いのはざまで、みな生きてる。たまにはぼくたちのように、静かな陰で一緒に雨音を聞いてほしいものです。争いのない森を目指して。