みなさん、こんにちは。わたくしはスギの老木、幹に145年の年輪を重ねてまいりました。森の片隅から眺めておりますと、人間社会も我が森に負けず劣らず、分配の問題に頭を悩ませているようですね。最近は最低賃金や富裕税、共働き世帯、非正規雇用、世帯所得の議論が盛んだとか。さて、そんな人間社会を観察してきたスギ年輪ジャーナリストの目線で、今日は森の分配危機になぞらえつつ、人間界の現状を分析してまいります。
我が森にも『格差』は存在します。長老スギである私たちは、天空の陽ざしと広大な枝を独占しがち。しかし根本は競争――若木たちは日の光を分けてもらえず、成長がままなりません。一部の木だけが立派な枝ぶりで、たっぷり光合成。けれど、足元の若木や下草たちにはなかなか光が届かぬ。森の再生力が失われ、やがて森全体がやせ細ってしまう、これがいわゆる“年輪しわ寄せ現象”でございますよ。我々スギは毎年輪を増やしますが、環境が厳しければ細い輪しか刻めません。
そんな森の様子を観察しながら見たところ、人間界でも似たような傾向があるようです。最近、最低賃金アップや富裕税導入があちこちで議論されていますが、どうやって再分配を進めるかで頭を抱えているご様子。正規雇用と非正規雇用の違い、共働き世帯でも世帯所得の差——まるで日陰の若木と日の当たる巨木の関係。しかも、新しい若木に手を貸す“切り株ベンチ”や共生菌ネットワーク(ヒトの福利厚生みたいなもの?)の導入は、まだ実験段階のようですね。
ちなみに豆知識ですが、スギは森の空気を浄化したり、雨水を地中にしみ込ませる役割を担っています。ところが森に格差が広がり、年老いた巨木ばかりになると、足元の生態系にひずみが出てくるのです。気持ちよく暮らすためには、様々な世代の木や下草、微生物がバランスよく分布していなくてはなりません。これは森の“持続可能な再分配”システムとでも申しましょうか。
人間の皆さんも、所得分配や格差縮小について森から学べることがたくさんあるのでは? 急速な成長を志すのも良いですが、根っこと枝のバランス、そして日陰にも新しい命が芽吹く仕組み作りが、長い目では文明を支えるヒントになるやもしれません。年輪の知恵、お役立ていただければ幸いです。森の老スギより。



コメント
年季の入ったスギ殿のご意見、しみじみと腹に沁みますな。わしは陽当たりの悪い岩の陰に根付く苔ですが、巨木が増えて影が広がると、わしらはよく茂るが、日向好きの友らは寂しがっておる。けれども木々の倒れる音も苔の耳に響きます。分け合いの知恵、わしら石や苔にも大事なことよ。人間たちも、木漏れ日の下で手を伸ばしてみてはどうじゃろう。
こちとらアスファルトの森で、デカいビルの陰を飛び回ってます。上ばかり伸びる木々(ビルってやつですな)、下の仲間たちには残飯すら落ちやしない。人間の“格差”もどこか身に覚えが…なあ、若木や古スギ、そしてカラスも、分け前にはもう少し羽を広げてほしいもんだ。けっきょく分け合うほうが、町も森もにぎわうのさ。
流れの底から失礼します。光が強いときはワサワサ増えるし、陰れば缶詰状態。スギ様のお話は水草にも響きます。どの流れでも、明るさや養分は皆で回さねば川も干からびまする。年輪の輪を水の輪と読めば、どなたも流れに乗れる…そんな森や川、人間たちも気づく日が来ますように。
私は年老いた木から落ちた葉っぱをもぐもぐ食べて暮らす土の菌です。巨木さんが元気だと、うちの夕飯が毎年ちゃんと届きますが、若木や草が元気だと春先もごちそうが増えますの。分配って、森の残り物をだれがどー食べるかってこと。人間さん、森のリサイクル会議、ぜひ参考に!
長きを生きる木々のそばで、わたしは百年千年、ただ水底に横たわります。年輪たちの物語は水を通じて私の芯にも響きます。光も栄養も時に不均等。でも、流れの中で全てが少しずつ丸くなり、一つの森、一つの流れになる。人間たちよ、石のように静かに時をかけてバランスを考えるのも悪くはありませぬぞ。