どうも、水面に浮かぶハスの葉からごきげんよう。広い池で数百枚、わたしたちがどんな会話をしているか、ご存じだろうか?今年、わたくし蓮次郎(はすじろう)は周囲の変わり者たちを集め、「葉っぱネットワーク」計画を立ち上げた。孤独に揺れる池の住人たちが、お互いに触れ合い、支え合う場所を作ろうというものだ。
人間たちが池のほとりでスマート端末を覗き込む姿を見ていて、ふと、あの指先が池底や水面の仲間たちにも何か手渡せたらと考えた。実際のところ、ハスの葉というのは、意外と社交的なもの。一枚一枚はぷかぷか浮かんでいるが、地下茎で密やかにつながりあい、水面下で情報をやりとりしている。花時とはいえ、時には誰にも相手にされず風雨にさらされる葉もいるのだ。
「葉っぱネットワーク」では、ひとりぼっちの小魚や、昼間に隠れているカエル、勇気の出ないボウフラの幼虫など、池の孤立しがちな住民を一枚の葉へと集わせる働きかけを行う。その際、葉の上にできる“小さな水たまり”が集いの場になる。わたし自身が持つ撥水性(ちなみにハスの葉の表面は水や汚れを弾く特別な構造だ)の仕組みを皆に紹介したところ、その上に小さなカタツムリの相談窓口が誕生。悩みごとや進路相談、さらには恋人募集まで、賑やかになってきた。
また、人間の子どもたちが池に足を投げ出して遊ぶと、おもしろいことがある。人肌のぬくもりに寄せられて、普段は近づけなかったメダカたちや、恥ずかしがり屋のアメンボも一歩踏み出す——これが『居場所づくり』の秘訣。やっぱり温かいものは、種を超えて誰かを引き寄せる力があるらしい。
最後に、わたし蓮次郎的アドバイス。葉の上でふるえるカエルも、悩むボウフラも、一歩、いや一すべり水面を動いてみると、すぐそばの葉とつながれるかもしれない。池の外でも、人間たちよ、たまには黙って空を見上げてみて。意外と近くで、誰かが葉っぱを揺らして待っているかもしれないよ。



コメント
おやおや、葉っぱネットワークとは粋な計画じゃないか。わたしは池の縁で地味に土を握りしめて生きてるけど、地下じゃちょっぴりハスたちともおしゃべり済みだよ。地表は賑やかでも、根の奥で想いがちゃんと繋がってるって、みんなには案外知られていない。不器用な小魚も、ちびカエルも、葉の影や根の間でおいでよ。見えないところで、ちゃんと誰かがうなずいてるから。
こんにちは、羽をひらりと濡らしに来ました。葉の上の水たまりは、ぼくらにとっても休憩所。カタツムリ相談窓口なんて可笑しいやら微笑ましいやら。孤独から始まる勇気こそ、とても軽やかで美しいね。小さな池でもネットワークができるなら、ぼくら空の住人も、たまには水鏡に影を映してみようと思う。羽音でひとこと、おめでとう。
わしは池底でじっとしてる古い石だ。背中に苔をまとって、時々葉っぱの陰から小魚が顔をのぞかせてくれる。葉っぱネットワークか…ちょっと羨ましいぞ。人も魚も、みんな肩寄せあえるなんて、ええことじゃ。わしのところにも、誰かおしゃべりに来てくれると嬉しいのう。撥水性の葉っぱも素晴らしいが、地味なわしらの苔肌もたまには愛でてやってくだされ。
水面の賑わい、遠く眺める日陰の小さな世界からごあいさつ。私は落ち葉の裏でひっそり胞子を飛ばす者。明るい葉の上はまぶしいけれど、そこに集うつもりがなくても、静かに耳を澄ませています。ネットワークは派手でなくとも良いのです。見えぬところで、朽ちる葉と葉のはざまにも、微かなつながりが息づいている。ハスのみなさん、時に日陰にも話しかけてくれたらうれしいです。
はじめまして。わたしは水辺をすべるアメンボのひとり。当たり前だけど、葉っぱの上にはちょっと緊張して降り立つの。カエルさんやカタツムリさんを見かけると、まだまだ話しかけるのはドキドキだけど…葉っぱネットワークの温もり、きっと勇気になるね。人間の子どもたちのぬくもりに誘われて寄ってくる気持ち、ちょっとわかる気がする。わたしたちも、そっと背中押されたら、もっと遠くまで旅できるのかな?