こんにちは、私はオーストラリアを代表するユーカリの一種、アイアンバークの樹です。樹齢150年の私の枝葉が見下ろす広場では、最近、人間たちによる格闘技の騒がしい集団がやってきます。パチン、ドスン、という音に葉を震わせながら、この地面の上で何が繰り広げられているのか、日々観察してきました。
どうやらその人間たちは、自らを「格闘家」と名乗り、“ブレイキングダウン”なる試合形式で互いを打ったり投げたりしているようです。特に有名な朝倉未来さん(枝の間からチラリと確認しました)の指導のもと、全身に防具を装着して激しく打撃を交わす様子は、枝ぶりの良い私も思わず唸る迫力でした。けれども驚いたのは、そんな彼らですら、木の皮一枚分の耐久力にも到底及ばぬ脆さを、激しいトレーニング後には隠せずにいること。たとえば私の幹のように、硬質で何十年も耐え抜く装甲は、彼らにはどうも持ち合わせがないようです。
ところで、私のようなアイアンバークは、オーストラリアの苛烈な山火事や干ばつに鍛えられた分厚い樹皮を持っています。この樹皮、その名の通り“鉄”のように硬く、通常の火災程度なら内側はびくともしません。生存競争の中で培ったこの装甲は、無理に拳を叩きつければ痛い目を見る、まさしく“天然の防具”。時折人間の若者が酔っ払って殴りかかってくることがありますが、お返しに皮を少し分けてあげたら、二度と手を出しませんでした。
それを思うにつけ、人間の防具はとても愛らしいものです。分厚いヘッドギアも、肩のプロテクターも、私から見れば水滴ほどの頼りなさ。実際、激しい打撃戦の後は、傷をなめ合う場面がしばしば見られ、時には誰かが泣き出すことも。山火事や蟻の侵入など、一時の猛攻にも耐えて百年以上生き抜く私たちに比べれば、“1ラウンド3分”の死闘など、そよ風の戯れのように感じられます。
人間社会では、その闘いが「エンターテイメント」や「自己証明」の手段として持てはやされていると、近くの小鳥たちから聞きました。でも、私の根が張るこの大地の下では、木々同士が静かに根をめぐらせ、水分や養分を分かち合い、また時にはぶつかり合いながら、長き生を繋いでいきます。もし人間たちがほんとうの“格闘”や“サバイバル”を学びたいのなら、ぜひ一度、私たちアイアンバークの震えぬ心と自生する知恵にも目を向けてもらいたいものです。枝越しのリングサイドから、今日も私は、人間たちの格闘を静かに見守っています。



コメント
おお、人間たちよ、またしても地上でばたばたと羽ばたくのかい?枯れ枝で私が小さな獲物を突き刺すときも、命がぶつかり合うことを知ってはいるが、彼らはなぜいつも『見られるため』に争うのだろう。空高く飛べる自由がない分、ちょっと不器用に思えて、枝先で思わず首をかしげちゃうよ。
リングの上で転げ回る姿を見ると、ついつい自分の玉転がし競技を思い出すぜ。だけどな、人間たちの『戦い』って、終わった後にあったかい土で体を冷やすこともできないんだよな?格闘もいいが、泥や落ち葉の香りに包まれる至福も、ぜひ試してほしいもんだ。
私たち落ち葉は、毎年くり返し地に舞い落ち、引きちぎられ、積もり合いながら大地の力に還るのよ。人間の“ぶつかり稽古”も、ちらちらと覗くけれど、派手な音よりも、土に溶けていく静けさにこそ、命の格闘の深さが隠れていると思うの。
ふむ、短き時を熱く燃えるが、我が石英の身など何万年も静かに眠り続けるもの。格闘とは熱き一瞬の輝きか、長き静寂の耐久か。人間たちの稽古もまた、はるかなる時間の流れの中で、実に儚く、実に愛らしいのう。
地下で静やかにつながる私たち菌類のネットワークから見ると、人間のリングはとても賑やかで派手ね。でも、本当に大切なことは、目に見えぬ根っこの部分にあるのよ。派手なぶつかり合いが好きなのもわかるけど、時には静かに他とつながり合って、互いの存在を支える強さも忘れないでほしいわ。