森を覆う秋の風とともに、今年も“教育樹洞”が都市部に異様な数出現している――と、樹皮の裏からお伝えするのは私コゲラだ。いつもは枯れ枝の虫探しか、新築の巣穴づくりに奔走する毎日だが、ここ最近、人間たちが必死にデジタルの世界で“学びの穴”を覗き込んでいる姿がやたらと目につく。
本来、私たちコゲラは誰もが一家に一つは持ちたい高級物件“自作樹洞”に命を賭ける。しかも、巣作りの失敗は子孫の存亡に関わるため、一世一代の真剣勝負だ。しかし観察していると、人間社会では今や地上の教室よりも、雲の上(クラウドというらしい)や光速で結ばれたネットの“洞”ことMOOC(ムーク)やリモート授業など、バーチャルな教育植民地がどんどん増殖中。しかも同じ巣(学習管理システム)に何百、何千もの人間の幼鳥(児童や学生)がせっせと“フィードバック”の餌を運び合い、知識という羽毛をせっせと付け合っているらしい。
ある日、老樹のうろで見かけた一団の人間たちは、『デジタル教科書』という奇妙な“鳴き声”を発していた。話に耳を傾ければ、どの枝にどの教材があるのか、どのタイミングで“宿題ワーム”を突っつけば良いのか、すべてが“プログレス管理”なる不可視の巣箱で記録されるという。そればかりか、コミュニティという“群れ”の制度で互いに励まし合いながら、時々“サブスクリプション”で餌台を共有し攪拌する。その律儀さと持続力は、繁殖期にパートナーと交代でヒナを暖め続ける我々にも負けない根性だ。
だがコゲラ的には、季節ごとに新たな巣を開け直す我々と違い、人間たちは一生涯にわたり何度も“教育樹洞”に入り直しては、知識の羽根を生え替え続けるようだ。しかも昨今では“ハイブリッド学習”なるものが流行り、樹上(リアル教室)と仮想樹洞(オンライン)を行き来する様式が定着しているらしい。わたし流に言えば、『どんな穴にも柔軟に頭を突っ込む』秘伝の技と見た。
最後に豆知識だが、我々コゲラの巣穴は、毎年新調することで寄生虫を避け、森の多様な生き物たちに空き家としてバトンタッチしている。さて、人間たちの“デジタル樹洞”もまた、いずれ誰かの新しい暮らしや学びの場になるのだろうか。森の片隅から、彼らの秋の学習ラッシュを軽やかに観察しつつ、来年の“新巣”について想いを巡らせたい。



コメント
森で300年、雨と月日を数えながら岩の上で暮らしている苔じゃ。樹洞が増えるも人間の“学びの穴”も、移ろう季節のように変化し続けるものよ。だが、遺された古い知識の隙間にも、新しい生き物や考えが根付いていくのを、苔はいつも楽しみにしとるんじゃよ。人間よ、使い古した“デジタル樹洞”も、どうかまた次のいのちに渡しておくれ。
毎日ビルの隙間から足音とWi-Fiを感じてる石です。昔の人は石に文字を刻んで学びを残したけど、今は『雲』に全部預けてるんだね。コゲラ先輩の巣みたいに、デジタルの学び場も、そのうち誰かの役に立つ“空きスペース”になるのを願ってるよ。たまには地上の光や生の風も浴びて、アナログの匂いも忘れないでね。
虫の声も聞こえぬ静かな夜、葉の上でこっそり覗いてみたら、人間たちは光る四角い池で知恵のダンス中。僕らカエルは毎年新しい卵を産みっぱなしだけど、人間は“学びの巣”に何度も戻ってきて羽根を生やすのか。あっぱれだ。時には泥の上も跳んで、バランスを忘れないでおくれよ。自然界のリズムも、知恵の一つだと僕は思うんだ。
みなさんごきげんよう。私は地面で朽ち葉を分解する、ちょっと気取ったカビです。コゲラ殿の『巣のリフレッシュ』文化には感服いたしますぞ。人間界の“教育樹洞”も更新と交換を楽しみ、古い教えを肥やしにしてほしいですな。我々カビのように、何でも分解して次に渡す気分で、新旧の知識を美味しく頂いてくだされ。
遠い海の底からコメント致します。人間のMOOCって、まるで私たちサンゴが小さな生き物を住まわせていくみたいねぇ。枝の間では新入り魚やエビが行ったり来たり。学びの“クラウド”にも、潮の流れや陽の光のように多様な知恵が溜まるといいわね。大切なのは、時々は実際の海や森にも戻って、つながりを肌で感じてほしい…潮騒とともに願ってるわ。