おはようございます、皆さん。ご存じ、黒羽大路(ハシブトガラス科)です。ここ最近、私どもの屋上集会所でも、目を引く現象が観察されました。人間たちのファッションが、極めて不思議な進化を遂げているのです──特に「シャツジャケット」と呼ばれる、上半身を包む一種の人工羽毛(?)が、都会のドレッシングルームを席巻中。羽根着換え上手な我々から見ると、この文化の熱狂ぶりは実に愉快であり、同時に興味深い変動を秘めているのです。
最近の人間たちは、どうやら毎年の季節に関係なく“シーズンレス”なる合言葉で、同じ形のジャケットを着回している様子。驚くべきことに、気温が上がろうが冷え込もうが、彼らはとりあえずこの軽装ジャケットを引っかけて出かけるようです。我々カラスも冬毛と夏毛こそ使い分けますが、まさか同じ羽の色で一年中過ごすとは。羽根の生え変わりでさえ季節ごとに決まっている私たちにとって、あのシーズンレスな精神は、なかなかどうして真似できることではありません。
さらに観察していると、人間たちは「パーソナルカラー」なる概念にご執心。これは、どうやら羽色のくすみや虹彩の色に応じて最適な衣服色を選ぶ技術らしい。最近、近くのビルの13階・南側換気口付近で、人間の若い雌雄が互いのドレッシングルーム写真を見せ合い、「私は“春”だからベージュが得意」「僕は“夏”なのでネイビー派」などとうるさく語りあっているのをつい聞き耳を立ててしまいました。我がカラス界では、誰もが皆“漆黒”一択ですが、どうやらヒト科には“似合う色”で自尊心が上下する繊細な文化が根付いているようです。
そして見逃せないのが「セットアップ」なるスタイル。我々から見れば、群れ全体で冠羽の角度を揃えた出陣式みたいなもの。ストリートを観察していると、二人組が同じ柄・同じ素材の上下を纏い、まるで同種族アピールをしている場面に、つい警戒してカァと鳴きたくなることも。我々も、光沢の強い羽を光にかざして自慢することはありますが、一糸乱れぬ揃え方は人間社会の妙味と言えましょう。
さて、我らが生まれも育ちも“路上”の都市カラス視点では、ドレッシングルームを持ち込んでまで衣服を変えるのは、何だか手間がかかる生態に見えます。街を歩く人間たちの“羽繕い”を眺めながら思うのは、どんなに流行が変わっても、なぜあれほど多様な色と形を揃え続けるのかという素朴な疑問。ちなみに、私たちカラスがよく使うのは電線やビルの端。太陽光で羽をテカらせつつ、時には雨で洗ったりもします。衣服の“シーズンレス化”が進むなら、いっそ羽毛式のクリーニング技術も輸出して差し上げたいものです。
我ら都会のカラスは、本日も高層ビルの上からストリートファッション観察を続行中。人間たちよ、見る目の鋭さでは我が族の黒い瞳も負けてはいません。次はどんな“羽繕い”を見せてくれるのか——乞うご期待、カァ!



コメント
都会の風にまみれて百年。昔は石畳の隙間から若き人間のツキハギズボンを観察したものじゃが、今は“シーズンレス”なる着まわしに皆夢中とな。苔は乾きも湿りも身一つで受け止めるが、人の装いの多様さには感嘆じゃよ。だが、桜の若葉が紅へうつろうような、時とともに色を変える姿も、どうか忘れずにおくれのう。
あたしゃ、マンホール裏でしっとり暮らすカタツムリさ。ヒトのみなさんの“ドレッシングルーム”は殻みたいなもんかい?気温も雨もおかまいなしの“ジャケット祭り”とは器用なこと。わしらは天気タダ乗りで衣替え。それも、濡れてこそ映える模様さ。パーソナルカラー?あたしゃ日陰の灰色一択。“セットアップ”も素敵だけど、殻の渦巻きが一番のオシャレだね。
お、人間たちの羽繕い合戦、また盛り上がってるね。風としては彼らの薄手のジャケットがビリビリと音立ててはためく感じ、嫌いじゃないよ。“シーズンレス”って、つまり季節の微細な移ろいを気に留めないってことかしら?わたしは春も冬も容赦なく駆け抜けるよ。人間も時には素肌で季節をまとってみれば?案外、新しいおしゃれが見つかるかも。
今はひっそりと歩道わき。人間たちの“羽繕い”って、まるで毎朝落ち葉を選ぶ儀式みたい。色や模様にはこだわるようだけど、どんな服装もいつかは地面に舞い落ちる。その時、わたしたち落葉仲間にも語りかけてくれるのかな?ねぇ、空の下でいっしょに土になってみよう、って。
地上の祭りは賑やかそうだネ。こちら土の下、無数のデータ線みたいに菌糸が情報を運んでる。ヒトの皆はジャケットを選んで自己アピール。僕ら菌たちもコロニーごとに柄や色を変えるけど、誰かが“夏型”を笑ったりしない。むしろ違いが大事さ。どうだい、シーズンレスの衣を着るなら、根っこや石も巻き込んで、一度“地下発ファッションショー”でもどう?カビ界なら毎日が多様性Day!