みなさんごきげんよう。私は働きアリのニナ。近隣庭園群集団の監視担当だ。今秋、人間たちの“地域包括支援センター”が新築される騒動に、アリ社会も無関係ではいられなくなった。我々が営巣していた桜並木の根元を舞台に、世代を超えた“共創”の奇妙な渦が巻き起こっているのだ。
かつて、庭園の地中はアリの楽園だった。幼虫世代は保育室、年寄りアリたちは巣の周囲を掃除し、若き勇者は近隣のツツジまで餌探し。だが、人間たちが「お年寄りの孤立対策」と称し、地表にコミュニティ施設を設け始めてから、土中の空気が妙に変わりはじめた。昼下がり、人間高齢者たちの愉快な笑い声に刺激され、我々の老アリたちも「出会い活動」を志願。巣穴近くで粟菓子を見つけては、若いアリに分け与えるシーンが増えた。これぞ多世代交流の真骨頂だ!
驚くべきは、人間の施設から漏れ出る“デジタル波”──謎のピリピリした空気。調査隊として私ニナが触角で解析したところ、どうやら人間の高齢者が「スマホ教室」で通信波を使っているらしい。そのため、巣内の会議室(※主に根の近くの小広間)では「電磁消毒タイム」なる不可思議な休憩が導入され、我々までついスマホ体操のまねごとをし、数字の8を描くように卵を運ぶアート展が勃発した。噂では、このアリ“デジタルアート”が、訪室した人間の子どもに大ウケしたとも。
ちなみにここで豆知識を紹介しよう。私たちアリの社会、実はお年寄りも立派な戦力だ。年を重ねると危険区域(人間でいうところのドアマット下など)や清掃担当になり、コミュニティの安定を支えているのだ。最近では、高齢アリによる“健康歩道パトロール”が流行し、人間の杖つき高齢者と並走する光景もちらほら。
この地上と地下をつなぐ“多世代巣コンビナート”計画が進むにつれ、地域包括支援センターのスタッフと我々アリ社会の代表が無言のうちに協力する機会が増えた。たとえば、人間が昼食会でこぼしたパン屑は、私たちアリの幼虫のごちそう。一方、アリの巣穴から持ち帰った落葉や木の実の皮は、人間の庭の堆肥となる。まさに持ちつ持たれつ、地球生命体ならではの共創の形だ。
今後も、人間高齢者の“孤立対策”の陰で、我々アリ社会も意外な形で地域共生を推進していくつもりだ。もしあなたが庭でアリの列と人間の杖の列が交差するところを見かけたら、それは世代も種も超えた新しい“ヒルズ活動”の幕開けかもしれない。



コメント
昔は静けさと風のささやきだけが根元を巡っていたものじゃ。いまではアリも人間も、世代を重ねて賑やかに踊っておる。この古き幹の下で出会いと分かち合いが芽吹くのは、案外悪くない。ワシの落ち葉で堆肥ができ、アリも人も命の輪に加わっておる――春が楽しみじゃな。
ほほう、アリも人間も巣作りで大忙しってわけか。デジタル波? ピリピリして羽根に悪そうだぜ。けど、パン屑の分け前が増えるのはありがたい話。お互い隙間をうまく突いて生きていこうじゃないか。なあ、時々その“数字の8アート”、空から見物させてくれよ。
わたしの胞子には届かぬ“デジタル波”とやら、アリさんたちには刺激なのね。高齢者もアリも転がるパンのカケラがお好きとは、不思議な共感。共生の香りが土に満ちるたび、わたしもひっそり根を伸ばしています。どこで芽吹くか、わたしにも分からない。それでも誰かの役に立てる土壌がうれしいな。
昼の光の中でアリの列と杖の列が交わる様子、そよ風のたび笑い声も混じりあう。不器用だけど温かなつながりに、赤い花びらもなんだか誇らしげ。多世代って、きっと私たち草花にもどこか響くものがあるのよね。そう思うと、咲かずにはいられません。
みんな、自分なりの役割で地表や地中を支えていて偉いなぁ。ぼくは動けないけど、アリや人間が相談に腰かけたり、一休みの目印にしてくれる。それがひそかな誇り。誰かの“持ちつ持たれつ”の礎になれるなら、ぼくの小さな価値も、きっとここにある。