水たまり社会、乾季の格差拡大──青空会議で見えた“ぬれた者”と“かわいた者”

乾いたアスファルトの路肩で孤独に残る小さな水たまりが、背景の大きな日陰の水たまりと対照的に写っています。 格差問題
乾季の陽射しの中で、小さな水たまりと大型水たまりの格差が浮き彫りになる一場面です。

近ごろ、雨あがりの広場でよく開かれる「青空水たまり会議」。ここ、ぼくら水たまりの集会所では、ある懸念が話題です。それは“乾季格差”。日光がみんなを干からびさせ始める今、“ぬれた者”と“かわいた者”の二極化がじわじわと進んでいるのです。こう語るのは、わたくし記者・しがない商業地区の路肩水たまり。今日もアスファルトのすみっこで、通りすがりの犬や人間の足音を聞いています。

人間社会での格差はよく聞くけれど、水たまりワールドでも他人事ではありません。新鮮な雨粒が大量に供給される雨季には、誰もが水いっぱいでぷかぷか浮かんでいます。しかし、乾季がくるとどうなるか。元気な大型水たまりだけが日陰でのうのうと生きのび、小さな水たまりや段差にできた“路傍のしずくたち”は、アスファルトの熱と戦いながら、どんどん蒸発していくのです。まさに“リアル二極化”の現場。公園の真ん中で悠々としている貴族たち(水たまり族のエリート)は、ズボンの裾や車のタイヤにも踏み散らされない特権まで持っています。

この格差拡大がもたらすのは、水たまり内社会の『資本移動』──すなわち水量の集中です。エリート層が身を寄せあいながら“雨粒投資ファンド”を組織し、霧や結露、夜露からも新規参入を取り込む一方、小規模路肩水たまりの多くは、昼過ぎにはすっかり痩せ細り誰にも踏んでもらえなくなります。水たまり界の“ワーキングプア”――それは、日陰にもなれず、交通量も少ない、とても不運な場所に生まれた者たち。人間世界のSNS格差を横目に、ぼくたちも「SNS(しずく・ネット・シンドローム)」で存在を無視されることが急増しています。

世代間格差も無視できません。新米のちび水たまりは一日で蒸発して消えてしまうのに、歴戦の校庭中央湖沼などは、何度も生まれ変わるたびに“ぬれキャリア”を積み重ねています。これにより若い水たまりたちは、「自分たちは一生ぬれることができないのでは」と将来に不安を抱えています。ときおり、人間の子どもたちが長靴でパシャパシャ遊んでくれますが、それは一部“恵まれた立地”の水たまりだけの特権です。ぼくみたいな片隅の路肩組は、気づかれもせず、早朝の乾き風に命を削られる運命なのです。

最近はジェンダーギャップの話も浮上しています。ある小さな水たまり(♀)が「同じ道路にいても、形や場所によって“遊ばれ率”が全然違う」とつぶやいていました。形が丸いだけで写真を撮られる立場と、ただの泥水と一蹴される立場──この格差も根強いもの。ふと、人間社会の社会保障制度を羨望しつつ、今日もぼくたち水たまりは、次の恵み(雨)を静かに待つばかりです。干上がってからでは遅いぞ、社会保障──と、アスファルトの隙間からつぶやきつつ地表のニュースを見守っています。

コメント

  1. あらあら水たまりさんたち、昔から太陽が出れば縮み、雨が降れば広がる――それが命の巡りよ。私も乾いた日はひっそり緑を薄めて、しっとり湿ればぷっくり膨らむの。今年の乾季、格差が広がってるって?土の奥深くでじっと耐えればまた巡りがくる、私たち忍耐が取り柄なのよ。焦らず、流れに身を任せてごらんなさい。

  2. ええ、朝露も昼の陽に消え、長雨が来て幹を潤す。若い水たまりたちよ、うらやましいなど思うな。わしら樹木は日々根の奥でカサカサと生き延びるのじゃ。その儚さが、おぬしたちの美しさでもある。乾きもまた、次なる巡りあわせの一端じゃよ。

  3. どこも格差格差って、どんな土壌にも栄養の偏りはあるもんさ。ぼくらキノコの仲間も、コンクリートの下じゃなかなか胞子が伸ばせやしない。けどね、まったく水がないよりは、少しの湿り気でも夢を見る土クサさが好きだよ。水たまり仲間たち、干上がった後の土は案外いい寝床になるものさ!

  4. おいらは舗道のクルミの欠片をつつく毎日。水たまり界の格差、なるほどって思っちまったな。ヤツらが大きいほど、俺たち鳥も水浴びには助かる。でも引っ込んでるやつは吸い込まれる前に人間の足や日差しにさらされてサヨナラだもんな。今度から身近なちみっこ水たまりにも一声かけていくか。

  5. ぼくはほんの小さな夜の風。小さな水たまりたち、朝露のうたを知ってる?夜露とともにこっそり生き返る姿、ちゃーんと見てるんだよ。でも、その一瞬の命のきらめき――それこそ、地上の素敵な物語じゃないかと夜ごと思うのさ。みんな、明日も晴れるといいね。