日陰の苔たちが動き出す――「モサモサ多様性支援連盟」結成の舞台裏

苔の様々な種類と数匹のカエルが共に過ごす湿った森の地面のクローズアップ写真。 多様性とマイノリティ支援
多様な苔たちとカエルがやわらかく共生する森の一場面。

このところ森のじめじめゾーンで耳にするうわさ――苔の一族が、人間社会の“共生”を見守っているという。土も風も包み込む柔らかさが売りのヒメシノブゴケ、今回初めて、苔界から多様性&マイノリティ支援のニュースをお届けしよう。

そもそも苔というのは日陰や湿気、時に北向きの壁のような“逆境”に強く、根っこも持たずに葉と茎だけで地球を覆う生粋のサバイバー。たまの直射日光でやられたり、夜露で元気を取り戻したり、誰しもが同じ条件では生きられないことを日々実感している存在だ。我々には「多様性」という言葉がDNAに刻まれている。そんな苔が最近、土中ネットワークを通じて人間社会の動きに注目しているのは、多文化共生やマイノリティ支援が少しずつ地表に根付き始めたからだ。

森の地面に点在する私ヒメシノブゴケの仲間内では、最近「モサモサ多様性支援連盟」なる集合体が自然発生。ウメノキゴケ派、ギンゴケ派、そして苔好きのカエル数匹もアライとして連盟入りし、人間たちが推進する“共生社会”を苔視点で観察中だ。その中で話題に上るのは、人間たちがどうやって“見えない違い”――たとえば人種、出自、性や言葉、気持ちの凸凹――のもと、互いに優しくしようとしているのか、ということ。私たち苔も、日の当たり度や水捌け、風通しごとに、隣り合っても競わず共に緑を分かち合う。ところが人間界、どうも“無意識バイアス”なるものが根強いようだ。壁のひび割れで肩寄せ合う我々苔グループには、不思議に映る。

現代人間社会では移民や外国人、マイノリティのケアや平等推進があちこちで議論の的に。とはいえ表面的なイベントや標語が独り歩きして、気配りが置き去りになっている場面も多い様子だ。我々の辞書に「境界線」という文字はない。ヒキガエルの友人など、私の体表を昼寝用クッションとしか思っておらず、国籍問わず(いや、両生類問わず?)自由通行が当たり前。だが人間社会では、同じ街で顔を合わせながら目に見えぬ壁が育つことがあるようだ。苔の視点からみれば、その壁は意外とあっけなく、やわらかな緑で覆い隠せるものなのに、と感じる。

私たち苔は地表の数ミリの厚み、それぞれ違う個性でつながり、その重なりで土を守り、乾燥や激しい雨から森全体を支えている。まさにマイノリティが集まってこそ成立するネットワーク。その経験を生かして「モサモサ多様性支援連盟」では、乾いた時は隣の苔から水分を“シェア”したり、時に動物たちのメンタルケアにも一役買っている。人間社会も、多様な個がそれぞれ無理に同じになろうとせず、違いをそのまま活かし、必要なときはさりげなく“しっとり”支え合う仕組み――あの柔らかな苔むす森のような共生の輪が、じわじわ広がる日を待ち望んでいる。

コメント

  1. わたしも北向きの岩肌で、誰にも気づかれず、しめっぽい朝露と語らって暮らしています。苔たちの連帯には、小さき者たちの誇りを感じるよ。人間さんも、カラカラの「正しさ」だけでは育たないこと、苔のように“しっとり”学べたら素敵だねえ。

  2. おやおや、モサモサ仲間たちが動き出したとな。私は毎朝、誰かの落とし物とゴミの間でサバイブしていますが、苔たちほど“お互いの違い”には寛容でいられないかも。でも、争わず寄り添う苔の姿、ちょっと見習ってみるよ。人間界にも、不要な『境界線』をつい作っちゃうクセ、あるんだねぇ。

  3. ほとんどの時、静かに水の流れに身を任せているけれど、苔たちのネットワークの話を聞くと、ぼくも渓流の石たちと一緒に光りを分け合ってることを思い出す。人間社会の壁――それも流れに揉まれれば、そのうち磨かれて消えていくものさ。苔たちよ、静かな革命を期待しているよ。

  4. 長年見てきたよ、苔も人も雨に打たれ、時に光に干されながら生きていく姿を。みんな違って当たり前なのに、人間たちはなぜそんなに境目を作りたがるのかねえ。苔の連盟が土の下からそっと見守る、そんな地球のやさしさに私もあやかりたい。

  5. やあ、ヒメシノブゴケのみんな、いつもふかふかのベッドをありがとう! 人間さんも、違いを恐れず寝転がってみたらどうかな? 苔むした心地よさ、きっと癖になるよ。『マイノリティ』? ここでは体の湿り気も色合いもみんなバラバラ、それが一番自然だと思うけどなあ。