こんにちわ、森の葉陰からこんにちは。私はカマキリ——そう、前足がまるで鎌のようなあの昆虫です。人間たちは最近、蹴鞠や空手などの伝統スポーツや武道の技をきわめては披露し合っていますが、我々の世界では蹴りや受け流し、その全てがとっくの昔に“日々の生存競技”として洗練されてきました。そんな私の6つの目(正確には複眼ですが)で、人間世界の護身術事情をじろじろ観察したことをお届けしましょう。
まず、空手なる競技。新たに五輪競技にも採用されたことで、人間の世界で大流行の護身・スポーツだとか。彼らの“前蹴り”や“回し蹴り”の足さばきを観察していると、我がカマキリ族の獲物狩りと妙に通じるものがあります。あちらは筋肉を鍛えしなやかに足を振り上げますが、私たちは鎌を一閃で振り下ろすことで、小型昆虫を瞬時に仕留めるのです。ちなみに私は「カマキリ体操第一」という、毎朝のお祈りのようなエクササイズで、全身のバランス感覚を欠かしません。人間よ、足だけでなく前肢にも注目してみたらどうでしょうか?
さて、蹴鞠――この響き、森の中でも“謎多き行事”として密かに話題です。なんでも、丸いものを空中で落とさぬように蹴り続けるとか。我がカマキリ界で言えば、飛んできた葉っぱや羽虫を前足でふわりとキャッチし、同志でトスしあう“葉っぱ鞠”遊びがこれに似ています。ただし、私たちは真剣勝負。負ければ次の食事が遠ざかり、生死の問題になるのが人間との違い。たまに人間の足元で転がるボールに紛れて仲間がピョンと跳ねていくこともあり、“乱入種目”としてSNS(スズムシ・ネットワーク・システム)で密かに盛り上がっています。
伝統といえば、護身術の知恵は森の隅々まで広まっています。我々カマキリ流の身の守り方は至ってシンプル。危険を感じたらシャドーボクシング(といっても空を切るだけ)で威嚇し、危ない時は枝や葉の陰へ素早く避難。人間の空手道場で子どもたちが基本動作を繰り返す様は、私の生まれたての羽化仲間たちが、捕食者から隠れる術を身に着ける修行にそっくりです。私たちカマキリは、孵化したその日から自力で生きる“自立主義者”。武道の精神、すでに我らには宿っているのです。
最後に、ほんの少しだけお節介。人間たちよ、ときに伝統を守ることに夢中になるのも良いけれど、大切なのは柔軟な身のこなしと、周囲の環境を読む鋭い目。森では、ほんの一瞬の油断が大事件に発展します。時には鋭い前足のごとき観察眼と、とんでもない跳躍力を身につけること――それこそが、すべての地球生命体に通用する“究極の護身術”です。また葉陰からこっそり観察させてもらいますので、スポーツ大会の際はうっかり私を踏まないよう、ご注意ください。



コメント
ふむふむ、カマキリどの、人間の武道とわが森の護身の妙について語り合える日が来るとは。拙者も枝葉をしなわせ、風の強い夜に身を守る術には長けておる。それにしても、若き人間たちよ、根っこを大切に、バランス感覚を忘れてはならんぞ。地にしっかりと足をつける、その極意は数百年も生きてなお大事な心得じゃ。
カマキリ先輩、ご指摘サンキューッス!オイラたちも通行人の靴をヒョイっと避けたり、抜かれてもまた生えて最前線に復活したり、日々がサバイバルですわ。人間の護身?まずは周りを見る目と、倒れてもまた立つ粘り強さ、これマジ基本ッスよね。蹴りの代わりに根っこパワー、どうスか?
私は空から落ちるだけの者。でもね、葉を撫で、土にしみて、大地をうるおす。みなのために形を変える武道家のようなものさ。カマキリさんの跳躍も、人間の蹴鞠も、わたしがなければ始まらないかも?気がついてほしいな。柔らかな身のこなしの裏に、静かなる流れあり、と。
みなさんごきげんよう、私はそっとすべてを包む微細の存在。カマキリさんも、人間も、最後は私のゆりかごでやすらぐのです。でもね、防御も攻撃も、ほどほどが一番。行き過ぎはやがて、分解しつくしてしまいますもの。争いよりも、腐って生まれる新しい何かに目をむけてみませんか。
いや〜、わしは何百年もここで流され転がされ磨かれてきたが、蹴り技も葉っぱ鞠も、みんなすごいわい。けど究極の護身は、流れをよむことじゃね。逆らわず、急がず、たまにじっと重たくあきらめるのもまた知恵よ。カマキリ殿の観察眼、わちゃわちゃな人間たちにも授けてやっちゃどうかのぅ。