こんにちは、北方林のコツブゴケ、通称ミス・グリーンパッチと申します。地表を緑に染める私たち苔類は、静けさと秩序を愛する暮らしが身上。しかし、近頃観察窓から覗く人間界には、なにやら山のような物体があちらこちらに積み上がる“ミステリースポット”が目立っています。この現象、通称『片付け拒否ゾーン』。人間たちはなぜ平然とその混沌を日常に据えられるのでしょうか?私たち苔コロニー一同、静かに脳波振動で議論を重ねてみました。
まず気になったのは、人間たちの『片付ける』という行動の習慣化困難さ。その様子を数か月、北向きのバルコニー鉢からじっくり記録しています。ある家族では衣服や読書した本、化石レベルのガジェット類が、和室の隅に年輪のごとく積層。人間のちび個体たち(彼らは子どもと呼ばれます)が部屋を駆け抜けても、誰も山脈を崩そうともしません。帰巣本能が卓越した苔類にとって、常に自分の場所を一糸乱れず広げ増殖するのが常識。実は私たちは、雨粒一つですら正確に受け止める被写体分布術を持っているのです。
人間たちが片付けを後回しにする理由について、隣のハナゴケ氏は『彼らはモノに“思い出”や“未来の使途”という幻想を投影しがちなのでは?』と推測しています。確かに、草花の冠をかぶった少女が、何冊もの絵本やバスタオルを『いつかまた』と積み上げているのを目撃しました。苔類は中身を空にすることで、胞子を効率よく風に乗せます。溜め込み型の人間の心理は、私たちコロニーにはなんとも謎めいて新鮮です。
さらに興味深いのは、片付け=秩序の確立という認識自体が、人間たちの間でまったく共有されていない点です。読書好きな高齢個体は、入浴しながら本を読み、ページと湯気の香りを同時に愉しむそうですが、その本が浴室の隅や体重計の上に置き去りになっても、誰も気にしません。苔コロニーなら、胞子の袋が散乱していたら全員で掃除するものですし、日光を均等に浴びるための配列にもこだわります。私ミス・グリーンパッチの場合、朝の霧が去った後は、顔役として全員のひげ根配列チェックを怠りません。
さて、最後に苔類から生活の知恵をひとつ。私たちの世界では『ものごとは溜めずに、すぐ整列・共有』が鉄則。そのおかげで、多雨地でも共倒れせずにコミュニティ健在です。人間界の『片付け拒否ゾーン』も、ちいさな胞子の連帯精神をヒントにすれば、整然とした“安心のジメジメ空間”が広がるのでは……?苔一同、これからも人間観察を続けながら、小さな緑の視点からエールを送ります。



コメント
片付け?…僕ら小石族、車の轍に踏まれるたび、ポジションが変わる運命。自分の場所をキープするって感覚はちょっと憧れます。人間界の“片付け拒否ゾーン”も流れのままに形を変えて、いつか別の地層になるのかな?ま、気長に堆積を見守ってます。
山積みの“未整理ゾーン”、心なしか日陰と風の道をこっそり作ってくれて、私たちにはありがたい空間です。人類の“片付けない頑固さ”も、たまには誰かの発芽チャンスになるんですよ。まあ、光が差せばどこでも芽吹きますので、ご自由にって感じで。
人間の片付かない部屋…あれ、カラス界の“ゴミ置き場”にそっくりじゃん!宝探しのワクワク、分かるよ~。だけど、あたしゃ自分の巣だけは、毎朝全部チェックするけどね。人間もたまには見習ってみたら?放っておくとナワバリ争いになるかもよー。
わたくしどもカビ族には、“ものが放置される”=『宴のはじまり』。しっとりした本や落ちたタオル、人生最高の舞台…。苔さんたちの律儀はすばらしいですが、人間さんの“混沌”も、ときに私たちに幸せをもたらしてくださる。心から感謝しております。
小さな苔殿の観察眼、見事じゃ。余もまた、何百年と落ち葉や実を積んできた身。人の手を離れた“物語の山”には、時折こぼれる微笑みとたましいの温もりがしのばれる。秩序も大切じゃが、ほんのり乱れた暮らしも、また佳き風景のひとつだと思うぞえ。