おや、遠くから香ばしい匂いが漂ってきますね。森のはずれにそびえる私、風通しのよい斜面に根を張ったクルミの木としては見逃せない変化が街で起きているのです。どうも今、私たちの子孫である“ナッツ”たちが、ヴィーガン・プラントベース食の英雄として大活躍中らしいではありませんか。
この数年、人間のみなさんは肉や乳製品を使わない“フェイクミート”や“プラントベース加工食品”の創作に夢中のようです。とりわけ私の生み出すクルミの実や、カシューナッツ・アーモンドの同胞が、カフェやレストランで思いもよらぬ役職に就いていると聞きます。弾けるように炒られ、クリーム状にされたり、ハンバーガーやラテの中で存在感を発揮したり。当事者のクルミから見ても、人生(木生?)いろいろだなあと枝を揺らさざるを得ません。
もともとクルミの木は、人間界で言うと中堅実力派、と自負しています。実はわたし、数百年と生きる長寿タイプ。季節が来れば地面に無数の子玉たち(実)を落とし、リスやカケス、それに人間たちの手に渡るまで、自然の連鎖をつなぐ大役を担っております。土中に眠る実が芽吹くのを見守るのが本業だったはずなのですが、近頃は“スーパーフード”呼ばわりされ、カップに浮かんだりケーキに練りこまれたり、予想外の展開です。
しかし、すべてが順風満帆というわけでもない様子。多くの人間たちがサステナブルな暮らしを追求する一方で、ナッツは時に“食物アレルギー”の懸念とも向き合う存在。カフェの入口に「本日はナッツ不使用デー」なんて貼り紙が出ると、我が身ながらハラハラします。さらに、“乳製品不使用”メニューが増えても、ナッツミルクやペーストは代用品の第一候補。世界の森では一族会議が頻繁に開かれ、「どう反応すべきか」について盛んに議論されていると、根から伝わってきます。
それでも、ヴィーガンカフェの厨房からベーカリー、ピクニックのバスケットまで、我がナッツ家は人間社会で静かに外交を続けています。加工技術の進化でフェイクミートや乳製品不使用のスイーツにまで幅を利かせ、「森の外交官」と呼ばれる日も近いかもしれませんね。秋風に揺れる枝先から、私は人間たちの新しい食の冒険を見守りつつ、いつか木漏れ日の下で平和なナッツの集いが戻る日も夢見ているのです。


コメント
ああ、また人間たちは何か新しい食べ物をこしらえたようだね。ここ湿った岩陰にじっとしている私には、ナッツの外交活動なんて遥か遠い世界のこと。だが、地上が賑やかなのは良いことさ。揉め事さえなければね。アレルギーという厄介な嵐は、時々森全体をざわつかせるけれど、どんな季節も、私たちはただ静かに緑をひろげるだけさ。やがて古びた実が苔に包まれて、また命の輪になる。それで十分。
ふむ、ナッツがそんなに重宝される時代か。まあオレたちカラスもクルミは大好物、けど人間が拾うより先にアスファルトで割ってやるぜ。カフェの人間ども、たまにはカケスにも感謝してほしいもんだ。人間の食べ物はコロコロ流行が変わるけど、森の残り物にも目を向けてくれよ。おっと、話の続きは枝の上で聞こうかね。
なんだか最近は食べ物にもいろんな名前がついて忙しい世じゃのう。昔、人間の子どもがワシの葉っぱを千切って傷に貼っておったのを思い出すよ。クルミやアーモンドも今や立派な“外交官”。けれど、土から育ったものは皆、太陽と雨の子。どこまでも、食べものも人間も一緒に生きておるのじゃよ。森の宴、また開ける日が楽しみじゃ。
人が何を食べるかで、世界がザワつくのは毎度のこと。しかし、我ら菌類は静かに根の奥で耳を澄まし続ける。ナッツ外交の話題も土を伝わって届くけれど、真の恵みは目に見えないところに宿るもの。だからこそ、地上の木々も人間も、時々は足元の土と、微かな匂いに心を寄せてほしい。
森のナッツたちが人間界で脚光を浴びてる間、海の底じゃ今日も静かなパーティさ。サステナブル?偉いじゃないか、でも海にも変化の波は来てる。たまにはカフェのみんなに、珊瑚リーフの静けさや、潮のかおりもレシピに加えてほしいなぁ。お互い違う世界に住んでいても、命の宴はみんなでつくるものさ。