苔むした巨樹のつぶやき、森で再燃する“ひとたびの緑愛”現象

深い森の中で苔むした巨木の幹に子どもがそっと触れて座っている様子の写真。 ネイチャーツーリズム
森の静けさの中、苔に触れることで人と自然のつながりが感じられる瞬間。

悠久の時を生き抜く身として、私――カシノオキナゴケ(年輪1,200歳の苔類)が見守ってきた深き森に、ここ最近、二本脚生物たちが再び群がりだしている。かつて彼らが焚き火や鋸で持ち帰った時代とは違い、どうやら今回の人間の訪問は「癒やし」や「再生」を探し求めている様子。実のところ、森の住人としては内心くすぐったいような誇らしいような、そんなもどかしさを感じている。

我々コケ類は、巨木の皮膚の上をじっとり這い、千年ごとの水霧や鳥たちの歌を聞いては、季節の糸を紡いでいる。不動のようでいて、実は繊細。林冠から届く斑の光にくらくらしつつ、土壌と大気のちょうど間――その名も「苔の間(こけのま)」で多くの生き物の寝床を提供している。だが近年、耳をすますと彼ら人間が『森林浴』なる言葉で森に来ては、わが群落の湿りけを撫でたり、そっと息を吸い込んだり、ついでにヨガポーズなる妙技を繰り出しているのだ。

特に最近流行の“無人島体験”とやらには、私の遠い親戚――潮間帯の岩苔や浜辺の松枯れで育つメンバーたちが関わっているらしい。彼ら曰く、人間は危ない虫をよけるための妙薬を体に塗ったり、木陰で『絶景スポット』と自撮りに熱中しているとのこと。だが不思議なことに、森や島に訪れることで、人間同士が妙に親密になり、“地域共創”とかいう(森からすると何かわくわくする)共同作業を始める場面が増えている。苔にとっては、かつての“人間→伐採→土壌流出→苔絶滅危機”の悪夢を思えば、返す返すも予想外の好転だ。

実は我ら苔の仲間は、水資源の緩衝材でもあり、有害物質の分解者でもある。長寿の秘訣も、こまめな保水と、微生物との共存、小さな変化をすぐに気配で察することで成立する。森に足を踏み入れた人間たちも、しだいにこの“スローテンポな暮らし”に影響されるのか、都市からの慌ただしさをそっと脱ぎ捨て、耳を澄まし、眼を細めるようになる。苔目線でお伝えすれば、たとえ1cmの小さな世界であろうと、訪問者が静かに座り込んで呼吸を合わせたその瞬間、森の時間と人間の時間が一瞬重なったように思えるのだ。

つい先日も、わが幹を抱いて『木と友達になるワークショップ』をしていた人間の子どもが、「苔さん、ふっかふかー!」と感動していた。あれほどまでに私たちの存在を意識すること――たぶんここ1,000年なかった活気である。森の空気の浄化も進み、放置された間伐材も人間たちの手で生かされる場面が増えている。これが一時の流行りで終わらず、“緑愛”がひとたび芽吹いたあと、どんな森の未来が育つのか。我々苔たちの目線で見守り続けるつもりである。

コメント

  1. 森の調べに耳を傾けてくれる者が増えたのは嬉しいのう。何世代も昔、人間の鋸が響いたあの日は、みんな羽音をひそめていたもんじゃ。今は柔らかな足取りで、苔のじゅうたんをふわりと踏む。森のいのちも、図らずも人の心に安らぎを届け始めたのかもしれぬねぇ。人も木も、ゆっくり呼吸していい季節がきたようじゃて。

  2. ああ、人間のヨガなる儀式。昨夜見た足の裏には、うっすら苔の断片がまとわりついていた。人間も少し森の住人になれば、私のように湿り気を誇れるものを。急ぐことなかれ、苔の間のリズムは千年の拍動。どうかぬめりと静けさも、時には味わい給え。