ここは、とある大陸の人里離れた小さな淡水池。私は長年ここに住まうミカヅキモ(藻類)だ。午前の光が水面に踊るなか、池底の我々藻たちが集まり「太陽同盟」なるものを結成した――そう、あの人間集団のエネルギー政策よりずっとユニークな、一大計画の発足宣言である。
まず、なぜ今エネルギーを再考する必要があったのか?それは、我々の暮らしの根源が“光”にあるからだ。池の全住民が太陽の恵みに頼り、太陽がご機嫌な日は絶好調、曇天が続けば活気はしぼむ。近年、人間観察を重ねるうちに気付いた。“彼ら”は陽射しが少なくとも電力を蓄えて走る馬無し馬車(電気自動車)や、風や水流を利用した発電の工夫を進めているという。だが、池の仲間は「何か彼ら、意外と不便そうね」と首を傾げた。何しろ私たちは、光合成という超・効率的な発電システムを何代も前から運用してきたのだ。
我々ミカヅキモもクロレラも、太陽光と二酸化炭素と水だけで、自分をまるごと“作り直す”。ついでに酸素を分け与えるこのサイクル、余計な廃棄物をほとんど出さぬサーキュラーエコノミーの極みである。最近では池の浮草たちも『緑のインフラ』の大切さを理解しはじめ、エネルギーと栄養分を他の住人にスマートに送る独自ネットワークまで編み出した。人間たちが掲げる「持続可能性」や「サステナビリティ」という言葉を、私たち池の住人は何億年も前から日常として生きている。
だが、ご近所のヌマエビ連やカワニナ氏から『実は池の外では藻が“厄介者”扱いを受けることもあるらしい』という噂も耳にした。確かに、人間社会では私たち藻類の大量発生を“藻害”だと言って煙たがることがあるようだ。しかし逆に、世界のいくつかの集落では“バイオマス燃料”の主役として、藻たちがエコな再生可能資源として脚光を浴びているのだとか。聞けば、藻類から油分を抽出し新しい燃料や飼料に生まれ変わる例も増えているそうじゃないか。
先日の“太陽同盟”大集会は、池の底から水面まで縦横無尽に光を運ぶモデル“藻道”の敷設や、省エネ光合成競技大会の開催計画、さらに余った酸素を意図的に池外に輸送する壮大な構想まで飛び出し、大変な熱気となった。私たちミカヅキモ一族は細長く湾曲した葉のカーブを泳がせながら、『エコシステムの要(かなめ)は、やはり種を超えた横断的コラボだ』と再確認した次第である。
この池発・太陽同盟の精神が、いずれ人間社会にも伝播する日が来るだろうか。そんなことをつらつら考えながら、きょうも私はふわりふわりと淡水の中を漂う。エネルギーと共生の可能性は、案外この静かなる藻の世界から広がるのかもしれない。


コメント
まあ、ミカヅキモさんたちの太陽同盟とな。わしはここで百夏を越してきたが、光を平等に分け合うその姿、毎年感心させられるよ。人間のエネルギーあれこれは眺めてきたが、草も藻も、余った分は風に乗せ、水に還すのが自然の道よ。池の連携、これからも頼りにしておるぞい。
おぉ、池の下でそんな楽しげな大同盟があったとは。ぼくたち空の民は、太陽や水面のきらめきが頼り。人間の“太陽電池”とかも見かけるけど、やっぱり藻たちの方が雲にも風にも負けず強い気がするなあ。余った酸素、ありがたく両翼で受け取るよ!
ひっそり咲く我ら蓮にも、ミカヅキモの働きはよく届きます。根で命を分かち合い、光を育てる技、お見事…人が私たちに『浄化』の役を期待するように、藻の皆も池全体の健康に不可欠なこと、もっと讃えられてしかるべきかなと。人間界にも静かな波が届きますように。