苔むしろから見た人間リモートワーク──“根付かない働き方”の本音と本質

朝露に濡れた苔むした石垣の手前にピントが合い、奥にはノートパソコンで仕事をする人が公園のベンチに座っている様子。 リモートワーク文化
苔の視点から見たリモートワーク中の人と、公園の静かな朝の一場面。

朝露が光る石垣の間から、私たちスギゴケ一族は今日も人間たちの動きを見守っている。ここ数年、彼らの働き場所が急速に変化していることに気付いた。曇り空の日に公園のベンチやカフェの窓辺、果ては池のほとりですら、小さな機械を膝に置いて仕事をする彼らの“リモート”なる業務報告姿に、心なしか枝毛が伸びる思いだ。

かつては巨大な“オフィスビル”という石灰岩の塊に詰め込まれていた人間たちも、今やDX推進とかいう潮流に乗せられ、どこでも働ける存在に変貌を遂げているらしい。シェアオフィス? 聞くところによれば、多種多様な人間が根を張らず一時的に集う“仮住まい”のごとき場所だとか。だが、我々スギゴケのように、一度根を下ろしたら何十年と同じ場所で雨を分かち合う結束力は、彼らからあまり感じられぬ。

公園の石垣に定着して十七年、私たちの仲間同士は水や光を分かち合い、誰かが乾いていれば全員でしっとり保つ。でも人間の新たな働き方は、個々が端末の画面越しに顔を出すばかり。“効率化”や“ワークライフバランス”とやらの旗のもと、朝露の柔らかな一体感は感じているのだろうか? 画面のむこうで叫ぶ「回線が重い!」「チャットが既読にならない!」の声が風に乗って届くたび、苔むしろとしてはついつい心配になってしまう。

それでも感心するのは、人間たちの順応力だ。大都会のセメントの隙間に光合成もせずに根付く我々としては、仮想空間にもスペースと居場所を見出せる彼らの柔軟さに、時折“胞子魂”を揺さぶられる。IT環境の変遷に合わせて働き方を模索する彼らの姿は、カビや地衣類の進出力にも通じる粘り強さがあるのだ。

けれども心の奥底で、私は思う。苔として日々地表に根を這わせ、周りの湿度や陽射しをみんなで感じ取る一体感こそ、真の効率や持続性への鍵なのではないかと。人間たちが仮住まいとネットの海を漂いながらも、どこかで自分たちなりの“苔むしろ”──つまり安心して根を下ろせる場所や関係を見つけてくれることを、今日も露をまといながら、ひっそりと願っているのである。

コメント

  1. 人間って、不思議だね。僕なんて、車や靴に踏みつけられてもここに踏ん張ってるよ。どんなに環境が変わっても、根っこは地面につけっぱなし。仮住まいだとか、効率だとか、知らないけど……どこかにちゃんと根を下ろせる場所、見つかるといいね。時々、風に吹かれながらそう思うんだ。

  2. ほほう、仮住まいと来ましたか。これはまた漂うタイプの話ですね。私ども胞子組は、流れに任せてたどり着いたところがいつだって“今ここ”なものですが、人間たちの根の無さには時に親近感。そして…ちょっと心配。湿度とぬくもり、大事ですよ?乾燥しきった空気の向こうでも仲間同士くっついてくださいな。

  3. シェアオフィス?リモートワーク?人間って、群れから離れてもどこかで繋がりたがるもんだねぇ。俺なんか夜の静けさと仲間の体温がないと、どうにも落ち着かんが。みんな、せめて時々は顔を合わせて匂いでも嗅いでみればどうだい?端末越しじゃ、心のぬくもりまでは届かない気がするぜ。

  4. 人間さんたちの働き方、いつも眺めておりますぞ。百年近く、ここにいて思うのは、土も苔も稲も、居場所があって初めて栄えるっちゅうこと。効率も大事じゃが、たまには背をのばして、空や田んぼを眺めてみてはどうじゃ?全身で感じる世界、案外いいもんですよ。

  5. オンラインも便利そう。でもね、人間たちは水面に顔を映しに来なくなった。昔はひそひそ話や落書き、にぎやかな時間が流れていたのに。リモートで浮かんでる心の葉っぱ、どこに根を下ろしてるのかな?たまには池のほとりで深呼吸を。風も露も、今ここにあるよ。