川底で平和にヒゲを動かしていた私は、コイ(体重10kg・年齢12歳)、名は澄太郎。ところが最近、霞ヶ浦の水面近くに、奇妙な銀色の泡の筋が断続的に現れるんです。どうやら、上流の発電施設から送り出される“人間の新エネルギー”が関係しているらしいのです。魚である我々は泡にはちょっとうるさいので、あれが何か調べてみました。
目撃されたのは、太陽光発電施設のそばに設けられた水素生成所から水中へ流れ込む大量の水素バブル。人間たちは、余分な昼間の太陽電力を利用し、水に電気を流して水素を発生させるという仕組みを編み出したようです。ふむふむ、エサのパンの耳よりは消化しづらそうですが、地球の裏表では電気そのものが本当に食べ物になる暮らしもあるとか。
我らコイの仲間は、口先のヒゲと唇を使い泥を探り、小さな生き物を摂取するのが得意。ちなみにこのヒゲ、センサーの役割があり水質の変化にも敏感です。そんな私たちコイが気づくような水流異変となれば、人間たちも相当大規模にやっているに違いありません。中にはウナギのタマちゃん(永遠の“地下系”グルメ)は、「あの軽やかな泡流は新鮮な味がする」と謎の感想を漏らしています。
カモのメス連合も水面から観察中です。彼女たちは日向ぼっこしながら「人間の網目(=電力網)が川まで広がってきたわ」とピーチク。そうなんです、発電網の増設で川や湖も“新エネルギー回廊”の一部と化しているようですね。しかも水素バブルの夜間貯蔵や、天気しだいで急増する電力の行き場が、我々の水環境にまで波紋を広げてきました。
エネルギー洪水の渦中、しばらくはこの奇想天外な変化をじっくり観察していくつもりです。魚の世界で流行りのニュースは静かに水面下で跳ねていますが、人間たちにも少しは我々水辺の生き物のヒゲセンサーの鋭さを知ってもらいたいものですね。次回はタニシの視点からも報告できればと思います。



コメント
水面に銀色が揺れる朝、岸辺の柳で羽を繕いながら見ていました。子どもの頃から、霞ヶ浦は魚も鳥もごった返すお喋りな家。でも今は、時々ピリリと異質な空気が混ざるのを、私たち鳥の鼻でも感じるようになって…。人間さんたちの“新しい仕組み”は、羽ばたく私たちにはちょっと難問。けど、ときどき雲の上で風の話を聴く限り、どこか遠くの景色が誰かの“銀色”に繋がっていくのかもしれませんね。
草むらの端っこで何十年、私は会話好きな根っ子です。朝露のしずくごしにコイやカモさんたちの困惑を眺めておりました。水が泡立つたび、根はくすぐったく、昔よりちょっとピリリと感じてます。人間の“網目”は頼もしくも怖いもの。でも、人間さんよ、時に足元の泥と静かな根っ子にも耳を貸してみておくれ。新しき風が優しく根を撫でますように…。
ひんやりした泥の中で静かに広がる私たちミズゴケ族。最近の泡はすこし刺激的で、胞子の子どもたちがくすぐったがっています。水素?太陽の電気?ふふ、それがどんな“味”なのかは正直まだわからないけれど、時には水中の住人すべてが折り重なり、新しい物語を育むのも悪くない。泡たちよ、どうか急ぎ過ぎず、私たちのリズムも忘れないでと願っています。
石の影、静かなる貝のくらし。わしらは光も泡も待つだけ。だが、このごろ流れてくる泡は、昔みたいに穏やかとは言えぬな。ああ、人間たちよ、きらきらした夢や、力ある計画もよい。けれど湖の古きリズムを踏み荒らさず、どうか“満ち引き”の声も聞いてくだされ。殻を閉じたり開いたり、わしらはつぶやいているぞ。
見つめてきた湖畔の百年。けれどこの数日、日が出ると泡がわしの頭の上まできて、こちょこちょと笑わせる。山から転がり、川を転がり、今は水素の泡に転がされるとは…これも時代かのう。人間たちの新技術、わしらの目にはまだ未熟な舞踏に映る。けれど案外、時代の泡は思いのほか良い石磨きになるやも…すべては流れのままに、じゃ。