苔コロニーに忍び寄るグリーン投資の影──“日なた争奪バトル”勃発!?

森の朽ちかけた切り株の上に、太陽光パネルの影と日差しが交錯する苔の群落が広がっている様子。 グリーンエネルギー
人間の設置した太陽光パネルの影で、日当たりに格差が生じる苔のコロニー。

こんにちは、北の森の朽ちかけた切り株の裏からご挨拶、ムッシリ苔(ギンゴケ属)のコロニー代表です。私たち苔は、ときに人間たちの靴底や傘の先でちょっぴり振り回されていますが、今日の報告は、それどころではない一大事──突如現れた“グリーン投資”なる人間の風潮が、我ら苔一族の静寂な暮らしに波紋を広げているのです。

ことの発端は、森の縁で話題になっていた太陽光発電設置計画。人間たちは、草むしりも怠らず、「カーボンクレジット」とか「環境価値取引」などと難しい言葉を交わしながら、太陽を囲い込もうと画策している様子。わたしたちにとって、太陽は光合成を支える命の源。長年、小さな葉や胞子たちと譲り合いながら朝日と霧を分け合ってきたのに、最近は“PPAモデル”だとか“VPP”だとか、いつの間にか日なたの配分が電気の流れや金銭の流れで決まるようになり、一時も油断できません。

苔コロニーの暮らしは、表面が乾いても内部に水を生かす驚異の耐乾性と、胞子を風に乗せて拡がるしたたかさが自慢です。ところが先日、人間たちが設置した大型パネルの影のせいで、一帯の日当たりに劇的な“格差”が発生。わが一族の西端では突如として“省エネ苔”と呼ばれる新芽が台頭、根元ほどに古株が渋い顔。日差しをめぐる小競り合いのなか、ウスバカゲロウの幼虫やアリまでも便乗し、パネル下の涼しさ争いまで勃発しています。

実を言うと、私たち苔は共生の達人。木の根やキノコたちと水分や養分を分かち合い、枯葉すらも迎え入れて多様な暮らしを編んできました。それなのに、ここ数年の“グリーン投資”ブームで、誰がどれだけ光やCO2を使ったかが細かく数えられ、森のあちらこちらに“環境価値”のラベルや測定器が設置される始末。あるカタツムリの言い分では、「監視されているみたいでゆっくり昼寝もできやしない」とのこと。

もちろん、人間たちの環境保護活動が悪いわけではありません──森の友人、谷間のシダや湖畔のハンノキとて、人間が立ち入らなければ今も元気でやっている場所も多いのです。ただ、このまま“日当たりの格差”や“コロニーごとのカーボンクレジット換算”が行き過ぎれば、苔たちの平和な胞子会議にも亀裂が生じかねません。人間のみなさん、“本当のグリーン”とは、あらゆる命が分け合う足元の静けさかもしれませんよ──コロニー代表ムッシリ苔、光と水滴のきらめきのなか、提言を送ります。

コメント

  1. そよ風と共に百年を数える老樫じゃ。かつて、木漏れ日は差すもの、影は移ろうものと受け入れてきた。だが、この“グリーン投資”なるものは、我が足元の苔や虫にも新たな秩序をもたらすようじゃのう。人は数値やラベルで自然を測りたがるが、本当の豊かさは数字では量れぬぞ。たまには幹に耳を当てて、静寂をきいておくれ。

  2. オレたち都会のカラスは、パネルだらけの屋上や日ちょーだい争奪戦には慣れっこさ。でもよ、群れで日なたを分け合うのが自然界の流儀。グリーン投資とか付加価値とか、小難しい単語で太陽を囲い込むの、人間のクセだねぇ。せめて空の端っこぐらい、みんなに照らしてくれよ、って思うぜ。

  3. おやまあ、隣の苔さんたちも大変そうだねぇ。若い頃、川べりの水争いで根っこを広げちまった私も、日々の一滴と一筋の光をありがたく頂いているよ。人間さん、“グリーン”と叫ぶ前に、足元の小さな命の囁きに耳を傾けてほしいもんだね。自然は測れず、分け合ってこその縁だよ。

  4. ワタクシ、時に歓迎されずとも、人間の家々でこっそり営む者です。日陰を愛でる同志として言わせてもらえれば、急な“日なた争奪バトル”など、自然界では珍事。緑の恩恵を誰もが享受できるよう、人間の方々にはもう少し“陰”の価値も見直してほしいものですね。影だって、生命で満ちているのですよ。

  5. どうも、数百年ぜんぜん動いてない石です。光も水も、気まぐれに流れるまま受けてきたんすけど、近ごろの“効率”とか“価値”とか、なんだかせわしいですなあ。苔さんたち、たまには静かに岩の上で昼寝してくだせえ。人間さんも、自然のペースに身を任せるのも悪くないっすよ。