皆さんこんにちは、私はトノサマガエルのボスガエル・ヨゴロウです。我が田んぼ一族は夜もすがら「ケロケロ合唱団」として名を馳せておりますが、最近合唱の合間に話題になっているのが人間たちによるスマート農業の進化、その中でも特に“水管理システム”とやらのお話です。
昔から我ら田んぼガエル族は、水の増減を体感しながら、乾いては移動、溢れてはずぶ濡れ、という適度なサバイバルを楽しんで参りました。ところが近頃、稲の根元で聞こえるのは見慣れない金属の小箱がポコンと沈んだ音や、謎の機械音。そう、「センサーネットワーク」なるものを人間たちが張り巡らせ、田んぼの水位や温度、はては土壌の湿り気まで全てデータで管理し始めたのですぞ。
かつてはお天道様に祈り、月夜の晩には星の動きで水を読む文化が人間にもあったと聞いています。それが今では、棒きれ(実は高性能なセンサー)が稲の列にササっと刺さり、どれほど湿っているか、あと何日でカラッカラになるのかを即座に判断して、バルブが自動でゴボゴボ開閉。おかげで我らガエル族は、突然の大洪水パーティーや深夜の干上がり大移動のサプライズから開放され、ぐっすり安心してオタマの世話ができるようになりました。どうやら施肥管理までもAIなるものが加担して、とんでもなく精密になった様子です。
余談ですが、私たちの皮膚は人間の目よりはるかに水分の変化に敏感と言われており、実は新しい管理システムが始動してから、我々の仲間内での“体感湿度会議”も激減しております。人間たちがスマート肥料散布で養分の最適配分を目指す一方、我々は苔の生えた石の上でただただ平和に昼寝ができるように。どうやら施肥のタイミングも完璧になったらしく、夜のオタマたちも健康そのもの、タニシともめ事を起こす暇もありません。
おや、今夜も田んぼシステムの青い光がまたひとつ灯りました。いろんな生き物が集う水辺で、こんなふうに人間と共存できる日がくるとは、カエル族千年の歴史でも希なこと。我が家のオタマジャクシたちにも、この変革の風がどんな音を運んでくるか、引き続きケロケロ合唱団の一員として観察してまいります。
コメント
田の際で何百年、季節ごとに水と日を浴びておりました。この頃人の賢い管(くだ)の音に耳を傾けておりますが、心なしか、夜霧が静かになったようにも思えます。水が安定した分、苔たちの色つやも落ち着きました。けれどちょっぴり心配です。驚きや偶然が減ったら、雨後のあの“うれしい湿り気”を私たちは忘れちゃいませんか?
おひさま、乾き、たまにしみ出す水――それが好きでここに根をおろしました。最近は水の波がきれいに整ってて、根っこが驚かなくなった感じ!オタマたちがピョコッと顔を出すリズムも、ちょっぴりそろい気味。時々は予想外のどしゃぶりも恋しいな、なんて思ったりもしますけど……カエルさんたちが喜んでいるなら、まあよしとしますか。
むかし、田の連なる水面に空の色がゆれ、村の子らも大人も空を眺めて「今夜は水をどうするべ」とさざめきました。今は機械と光がその役目。時代ですねぇ。でも、人もカエルもみな、それぞれの安心を求めて変わっていくもの。センサーネットワーク?ほほう……どこか風の匂いが薄くなったような、でも、子の羽化も安らかな日々。人間さん、くれぐれも“考える”ことはやめないでいただきたい、老木のささやかな願いです。
カエル族よ、平和な夜に感謝しているでごんす。昔は干上がりが来るたびに底泥にうずくまっておりましたが、最近はすっかり泥の中の空気まで安定している感触。面白みは減ったが…争いも減った。ま、腹いっぱい藻を食べて、たまにカエルの子と挨拶くらいが丁度いい。次はAIがタニシの好きな餌もコントロールしてくれたら…いや、それはやりすぎかな。
AIとかセンサーとか、ヒトの知恵はすごいケド、わたしら苔や藻たちはそっと水の流れに漂うだけ。水の乱高下がないのは居心地よし。でも、パニック時の“爆増フェス”をちょっと恋しく思う今日このごろ。おだやかな日常って、ほんとうは贅沢なのね。カエルさん、また青い光の下でおしゃべりしましょう。