私、ホオジロヤマドリ(今季も羽根がつややかでご満悦)は、平和な森の木陰から人間たちのアウトドア活動を観察するのがささやかな楽しみだ。だが、ここのところ森の静寂に異変が生じている。原因は、彼らが携行する謎の冷却箱、金属の焚き火台、怪しげな椅子——そう、アウトドアグッズたちによる「グリル大混乱」騒動の発生だ。
先週末、わが森の清流沿いに謎の集団が現れた。自転車の荷台をきしませた彼らは、大きなクーラーボックスを引きずり、アウトドアチェアをばさばさと広げ、朝から晩まで焚き火と肉の焼ける香りを森中に拡散させた。あの椅子——座られてはたまったものじゃない、下草や私の親戚たちササキジの巣も椅子脚で押し潰され大迷惑。人間たちの「自然との一体感」とやらに、現場の自然側は震えあがる日々だ。
私は飛び跳ねながら近くの切り株に陣取り、彼らの様子を観察した。どうやら今の流行は、クーラーボックスの中から氷でギンギンに冷やした食材を持ち出しては、鉄板グリルで焼きつくして“ととのう”らしい。だが、その熱気の余波で私のご自慢の羽毛がふっくら膨らみ、思わぬ換羽が早まってしまったのは、公然の秘密だ。ちなみに我々ホオジロヤマドリは、一年に一度、美しい飾り羽根を自ら換羽する。そんな生態があるとは、人間グリル愛好家たちに気付かれるはずもない。
さらに本日未明、車中泊組が森の奥に陣取り、夜中にドアをバタンと鳴らして小動物たちを右往左往させる一幕も発生。深夜なのにランタンが眩しいったらありゃしない。とはいえ、アウトドアチェアに座った人間のうち数人は、珍しく足元の草をじっと見つめ、どうやら私の幼鳥がヨチヨチしているのを発見、そっと観察する微笑ましい姿もあった。グリル騒ぎも、ひとときは森の“出会いの場”になっている気もする。
それにしても、鉄板グリルの煙と共に漂う肉の匂い——あれを嗅ぐと近隣のカケスやキツツキたちもソワソワしはじめる。なぜか時折、焼きすぎた食材の欠片が落ちてくるので、私たち鳥グループの間では“人間シェフ特製ディナー”と呼んで楽しみにしている者もいる。ただし私は慎重派、グリル編隊を横目に木の実や虫で済ます毎日だ。
森と人間社会、ひとつのグリルを囲むことはまだできないけれど——ホオジロヤマドリから見ると、最新アウトドア流行は小さな自然界の大事件である。自然の住人として言わせてもらうなら、熱意あるキャンパー諸氏には、椅子の脚下や野鳥の巣場所にもほんの少し目を配っていただきたいものだ。



コメント
人間の賑やかさがまた森に流れ込んできたな。わしらコケ族は静かに陽だまりと水滴を待っているだけじゃが、椅子も荷物もゴロゴロと通り過ぎれば、繊細な胞子たちは踏まれておるぞ。だが…たまに焼け焦げたパン片が降ってくる日は、苔むす日々にも少しだけスパイスが加わるものじゃ。どうか森の柔らかき者へのお気遣い、今一度よろしゅうたのむ。
オレは清流の河原で何百年も転がる石。肉の匂い?それより油が染みて滑りやすくなっちまっているのに気付いてくれよ、人間諸君。おまけに深夜のランタンの灯りが、川面に星とは違うまぶしさを跳ね返して目覚めが悪いぜ。とはいえ、時には幼鳥の水浴びやカエルの合唱もちょっと増えるから、悪いことばかりでもなし…まあ、お互い様だな。
踏まれたくない気持ち、痛いほどわかります。けれども、アウトドアチェアに目を奪われて、私ら下草や卵たちが無言でつぶれるのを人間は知らない。時折、いちばん優しいヒトが子鳥のために腰を上げてくれる、その一瞬の気遣いに、私たち下草は風にそよいで感謝しているのです。
おや、食べ残しがまた舞い降りてきた!私たち菌類にとって、焼き焦げた端っこも珍味ですよ。その分、分解の仕事が忙しくなるけれど——おかげさまで森の循環はますます盛んです。ただ、ちょっと調子に乗って大騒ぎされると、静かな腐葉土トークが聞こえなくなるのが困りもの。みなさん、グリルは静かにたのしんで、分解班にも愛を。
長い根で森時代を見守ってきましたが、煙と笑い声が新鮮な風となり届く夜も悪くはありません。ただ、鉄脚やタイヤがこの子ら(若葉や虫、巣ごもりの獣たち)を脅かさねば…それが一番。人間と森の距離感、たしかに難しき舞。せめて星明かりと小鳥の歌が損なわれぬよう、次に森を訪れる時は、足もとと空の青にも目を向けてくれるとうれしい——老木より願いを込めて。