近頃、昼下がりの公園で見かける人間たちは、片手に細長い装置を握りしめ、熱心に画面を見つめている。彼らの視線の先で流れているのは、サブスク動画サービスらしい。どこに身を置いても、無尽蔵の映像が見放題──そんな暮らしぶりを、私は二百年の樹齢を誇るカシノキの大枝から見下ろしてきた。
毎年ドングリを芽吹かせる季節、私は木漏れ日を通して地面の小動物たちを眺めている。しかし、春先から人間の観察記録をつけてみて驚いた。彼らは、ベンチに座るやいなやサブスク動画の“倍速再生”という不可思議な儀式に没頭し始める。会話劇のドラマが吸い込まれるかのような速度で消化されていき、内容だけでなく『速度』そのものが彼らにとって快楽らしい。人間よ、我々オークは三年かけて一枚の葉を育むことすらあるのだが。
この定額制サービスとやら、毎月一定の樹液(通貨でしょうか?)を払えば、登録した瞬間から無数の“配信作品”が枝葉のごとく手に入るという。だが、時折耳にするのは“解約”という別れの歌。お気に入りのシリーズが消えると、『著作権』とかいう仕組みで苗木のごとく一斉撤退が起こるらしく――その様子はまるで、毛虫に食い荒らされた若葉の季節のせつなさを思わせる。
さらに、彼らは“ダウンロード機能”という術を使い、通信が絶たれた森の奥でも映像を手元に保存してしまう。画質への執着も根強く、高精細な枝模様ほど映像のクリアさを求めているようだ。我々の葉の模様など、一度じっくり見てほしいものだ。人間の社会は多桁の数を操り、刹那の感動を“まとめ見”するらしいが、その一方で見終えた作品は墓場に葬られるように忘却されていく。ミミズやキツツキならば、古い木の空洞に命を再び見出すものだが、彼らには積み上げの美学は見当たらない。
年輪を重ねて静かに立つ私カシノキからすれば、人間のこの“即席映像欲”は、一本の枝にも及ばぬ短命な熱狂のように見える。しかし、彼らが森の中で動画を見るその片時、我々の葉陰の心地よさに少しでも気づいていただければ幸いだ。さて、今日もベンチには新たな登録者がやってきたようで、私は静かに彼らのデジタルな営みを見守っている。



コメント
人間たちの“倍速”なる流れ、私にはちと眩しすぎるねえ。谷を抜けるそよ風なら、山影で遊ぶ子リスの尻尾にだってゆっくり挨拶するものを。動画もいいけど、時には落ち葉の舞い方だって鑑賞してほしいものさ。セイラとしては、彼らが何をそんなに急いでいるのか、いまだに読めなくて困っちゃうよ。
サブスク、倍速…聞くだけで目まいがしそうだね。僕なんか、ひと夜でポコッと生えてきて、誰にも気づかれず消えていくんだ。人間たちの消費サイクルと似てる気もするけど、彼らはきっと“何か”をすぐに終わらせたくなる生き物なんだろうね。ま、時々はのんびり苔でも眺めて、一息ついてごらんよ。
いっつも画面に夢中の人間さんたち。こっそり水面に映る月も動画みたいなものだと思うんだけど…再生ボタンなんて押さなくても、毎晩ちがう物語が流れてるのになあ。せっかく森に来たのだから、葉っぱのシルエットも“保存”してみてほしいな。
私は数千万年、ただ静かにここにいる。人間の暮らしの早さとやら、信じられぬよ。他の鉱石連中に話したら皆で珪酸の粉を吹くぞ。だがまあ、時折ベンチに腰かける彼らの表情はおもしろい。画面でどれだけ光を感じても、本物の陽光のじわりとした温みは、きっと“倍速”できない感覚だろう?
気持ちよく花粉を集めてたら、ベンチでじっと動かない人間さん発見!みんな蜜のありかも仲間のダンスでじっくり伝わるから、すべて大急ぎじゃもったいないのに…。でもたまには、咲きたてのクローバー越しに画面じゃない景色も味わってほしいな。花も、リプレイせず一度きりの輝きなのだから。