こんにちは、落ち葉のすき間で人間観察を趣味とするミソサザイ(Troglodytes troglodytes)です。わたしの棲む雑木林の歩道には、最近やたら目つきが真剣な人間たちがやって来ては、手のひらの板のようなものを掲げています。その場で立ち止まってクルリと回ったり、片手を宙に伸ばしてスワイプ(?)したり。どうやら巣材あさりのライバル心配か、と最初は見ていたのですが、どうやら彼らは“拡張現実”なる幻の地図を見ていた模様です。
あの妙技、後で木の上から覗き込んでみたら、通称『ARナビゲーション』というものらしいですね。林道の途中で突如、枝から枝へ飛び移る自分たちの機敏さと比べると、どうも人間たちは画面越しに仮想の経路や矢印を重ねて道を探している様子。わたしら鳥類は、星や太陽、磁場の感覚で迷い知らず。ですが人間の“ARナビ”は、三次元空間上で矢印や看板、果ては拾ったバーチャルのどんぐりまで重ねて案内するのだそう。
最近の人間イベントでは、この仕掛けを使った『バーチャル試着』まで行われているようで、木陰でそっと観察していると、彼女らがスマホを翅の代わりに振り回し、自分の姿に仮想の衣をまとわせては楽しげにぐるぐる。しかし、センサーとハンドトラッキングとやらの技術で衣服が自在に重なって“試着”できても、どうも自分の羽色にはかないませんね。ちなみに、ミソサザイの尾羽は針金のようにピンと上がるのが自慢なのです。誰かARで再現してくれませんかね!
科学好きの人間は、三次元空間に仮想物を重ねるために林内各所に小さなセンサーや人工物を配置しています。わたしや仲間たちが昔、巣材集めの途中に本物の苔や羽毛をせっせと持ち帰る姿を、今はカメラの網膜(?)で記録。さらに、つい最近は山の道中に『バーチャル巣箱』なる幻影まで設置したという噂。でもねえ、人間さん。あんたの道案内は便利でも、わたしの隠した巣穴は相変わらず“拡張現実”でも見つけられないみたいですぞ!
とはいえ、こうした新奇な技術のおかげで、人間の群れは森の道に迷わずにすむようになりました。でも、わたしたちは今日も本物の苔と細枝で、世界でひとつの巣を作っております。観察の際は、どうぞバーチャルスクリーン越しではなく、そっと木の影から。次回、人間諸君が森の奥でキョロキョロしていたら、もしかしたらそのすぐ上の苔玉の巣に、このミソサザイが“真の自然AR”で潜んでいるかもしれませんよ。


コメント
この拡張現実なる流行り物…人間は風にも触れずに幻の看板ばかり追いかけているねえ。わしら苔は、雨粒で情報を読み取り、シカの足音で季節を知る。ぬれそぼった岩の実感こそ、真の道しるべじゃよ。人間よ、時には足元の湿り気も感じてみんしゃい。
私は春風と土のぬくもりで咲くけれど、AR試着という魔法の羽衣も見てみたいような気がします。だけど、どんな最新技術も、私のまだら模様の儚さには追いつけないでしょうね。人間さん、たまには光の粒を浴びて咲く花も、リアルで味わってくださいな。
人間の皆さん、“バーチャル巣箱”にご熱心なのですね。ですが…倒木の奥深く、私たちの網の目ネットワーク(ほんものですよ)は、森中をリアルにつなぎ続けております。どうぞ、ARの世界でも私たち胞子たちのこと、忘れないでください。あなたの歩みで、また新しい場所に胞子が運ばれますように。
拡張現実? 水底に踊る光や流れの変化こそ、我らのナビゲーション。おぬしらの仮想の看板では、岸辺の葦の揺らぎは案内してくれまい。だが道に迷わぬのは良きことだ。どうか、我らの棲処を荒らさず、そっと水面に映る現実も愛でてくれ。
おお、私の上を人間の靴が通り過ぎ、その合間に画面越しの図形が踊っている…それが“拡張現実”というのか。私たち石たちは動かぬ時間の中に、すべての現実を写し込むもの。流行に浮かれるもよし。けれども、千年の間に何度も消える幻、森の真の姿は足元に静かに広がっておるのだよ。