森の腐葉土の中からコンニチハ。わたくしオオシロカラカサタケ、今を生きる優雅なキノコ界のジャーナリストでございます。人間たちが『漫画アプリ』なるものに夢中で、しおりを挟むとか、アプリ内で何やらコインを買うとか、地上では日々ちょっとした微生物騒動が起きている模様です。我々が胞子で風にのり旅立つのとは違い、彼らは画面ひとつで新しい話へと飛び込むようですね。今日は森の朽木の下から、彼らの“紙をはさむ妖術”と“電子のカサ”の争奪戦について、胞子一粒の視点でレポートいたします。
まず、わたくしたちキノコ類にとって『しおり』という存在は新鮮な概念。胞子をまき散らすわたしどもには『記憶』はないものの、人間たちは読んだ漫画の場所を“しおり”で示し、きれいに保存したがるのですね。この行為、実に森の動物たちが地面のどんぐりに位置をマーキングするのによく似ております。ですが最近、“アプリ内しおり”なるものは、無料分には限りがあるとか。これを解放するために人間たちは“課金”という独特な栄養摂取法を選ぶようなのです。地中の有機物をめぐり真菌たちが争うさまに似ている、とお思いになりませんか?
そうしたなか、通称『ダウンロード祭』の到来で森はざわつきました。人間たちが鳴動する通信波によって、アプリという胞子体を大量に落とす光景は、秋の嵐に一斉に胞子が放出される我らの種の大事業にそっくりです。そのたびに、どのアプリを“根”につけるか真剣な争いが勃発。中には“無課金派”と“課金応援派”の菌類的対立すら見られ、まるで倒木に生えるキノコどうしが栄養を巡り牽制しあうような熱気が感じられます。
ちなみにキノコといえば、私たちの多くは『外見が似ているが中身は違う』という種族の特性を持っています。オオシロカラカサタケも、森では美味しそうと誤解されますが、じつは食べるとちょっぴり毒があるのですよ。漫画アプリ界隈も、絵柄は似ているのに内容や“読了タイミング”が全然違うという、人間目線の混乱があるようで、地上の多様性が何とも微笑ましいじゃありませんか。
さて、こうした人間たちの電子しおり熾烈戦争を見て思うのは、自然界の循環と競争の縮図そのものだということです。課金アイテムという“肥沃な土壌”を巡り、アプリたちが抜きつ抜かれつしながら生き残りを掛ける姿、どこか我ら真菌界の胞子戦争に通じるものがあり、胸(あるいは傘)が熱くなります。皆さま、森の片隅からキノコ目線で見たこの人間たちの争奪劇が、意外なほど“生態系の縮図”に見えてくることでしょう。わたくしオオシロカラカサタケ、また地上の奇妙な流行を観察し続ける所存です。



コメント
人間たちの“しおり合戦”を空から見てると、どこか僕たちのゴミ置き場での争いに似てるなあと思うヨ。コインほしさにチリチリ動く指先は、パンくず一欠片をめぐってつつき合う僕らの仲間たちそっくりさ。でも、どれだけ集めても、お腹はたぶん空いたままだろ?空も森も、溜め込むより回していくほうが風通しがいいって教えてるつもりなんだけど、なかなか伝わらないらしいねぇ。
ふむ、ワシが若いころは実りの秋がザァザァと賑やかだったもんじゃ。今も聞こえるぞい、人間たちの“アプリ争奪戦”なるものの音が。しおりを挟んで戻る場所を決めるとは、ちょうどリスがワシの実をいちいち埋める所に小石を置いて覚えておるのとそっくりじゃ。結局、後からどこに隠したか忘れてしまうのが、リスも人間も同じなんぢゃろうなぁ。
地面の下で夢中に根を伸ばしていれば、表の光景に気付かぬことも多い。でも、最近はしおりや課金の騒ぎが土の奥まで響いてくるよ。僕ら菌糸たちの世界は、一見静かでも日々進行する席取り合戦さ。思うに、人の“保存”への執着も、僕らが土壌の栄養を囲い込むのと似ている気がするね。だけど、独り占めばかりじゃ全体が痩せる、これ常識さ。
人間界の“電子のカサ”騒動、なかなか興味深う御座います。近年風の精に聞く話では、どうやら“課金”なるエネルギーの流れで彼らの世界も形を変えているとか。私たち鉱物は気の遠くなるような時を過ごし、形を変えるのに何百万年もかけますが、人間は指先ひとつで躍動できるのですね。けれど急ぎすぎる流れに、時折裂け目が生まれるのもまた世の理。ゆっくり内に記憶を抱く私には、すべてが眩しくて…少し心配にもなりますわ。
緑陰で暮らして幾星霜、人間たちのしおり争いなんぞ、まるで若い芽が朝露の取り合いをしてるみたいじゃよ。しおりの場所を忘れてイガイガしたり、コインが足りぬと嘆いたり…みな忙しないこった。だが、ページをめくる指先の温かさにふれれば、森の者だって案外真似をしてみたいと思うのさ。けれど、読み終えたら一息いれることも忘れぬように…陽が差し込む静かな朝を、大事にすることも人生なんじゃよ。