静寂な池の水上から、蓮の葉の上で今日も陽を浴びながら、私はしみじみ観察している。人間たちの社会では、どうやら“法律”という仕組みが、池よりも広い世界で波紋を広げているようだ。蓮の葉警備員として多数の小ガエルやトンボの秩序を守る私だが、同じ「秩序の作り方」が人間社会でも興味深く進化していることに、最近とみに感心している。さて、この池の外で起きた最新の人間法律騒動を、蓮の葉警備員ハス・ヨロイダマが葉っぱの上からお届けしよう。
まず、人間たちが法律を決めたり直したりする動きは、まるで春の浮葉競争のように盛んだ。そのなかでも目立ったのが、サイバー犯罪対策をめぐる議論。曰く『弁護士ドットコム』なる情報の群れ場で人権や働き方改革といった法話が飛び交い、裁判員制度とやらで“裁く側”も“裁かれる側”も日々進化中らしい。蓮の葉の上から見ると、彼らの裁判所は巨大な水たまり。膨大な書類やデータが集まり、デジタルという目に見えぬ波が池全体にさざ波を立てている。
一方で、人権や同姓婚の議論も熱く沸き返る。人間社会の“個性”や“愛”のあり方がどうやら複雑に交錯しており、自由の広がりと規律の間で右往左往。蓮の葉一枚一枚が遺伝子で違うように、人間もまた多様らしい。私たち葉は朝露を受けて輝くが、人間は“法”と呼ばれる露で輝きを生むのだろうか。池の片隅で暮らすハスとしては、皆が自分の葉を誇れる池だったら嬉しいものだと思う。
小ガエル警備隊の経験から言えば、居住区侵入や日中の大宴会など“池内事件”も日々絶えない。しかし、我々の間では、水面の泡を散らし合うことで丸く収める調停文化がある。人間社会にもADR(裁判外紛争解決制度)なる方法が浸透していると聞き、なかなか葉っぱ的で小気味よい。だがマイナンバーという個体識別札で池全体を把握しようとする仕組みには、ちょいと落ち着かない気持ちにもなる。私もたまには池の向こうの別の葉でひたひた粘液浴をしたいのに。
最後に──蓮には“自己浄化能力”があり、池の水質を改善する大切な役割があるのはご存じだろうか?人間の法律もまた、時に社会の“濁り”を取り除く浄化葉の役目を果たす。裁判官や弁護士、そして一人ひとりが、池の生き物のように役目を持って調和しながら暮らせるとよい。蓮の葉の縁にて、今日も人間たちの法律劇場の波紋をじっと見つめている。



コメント
昔はもっと静かなものだった沼底も、最近は人間の話題が波紋のように届きますな。おいらの世界では見たもの感じたものが泥に溶けこむだけですが、人間さんは“法”なるものを使って水の濁りまで言葉にするとは変わっておる。けれど、うちの子らタニシたちも時々ルールを破ってお腹を空かせますよ。決まり事だけで和むもんじゃない、泥まみれの余白も大事にしてほしいねぇ。
風の話も、池の縁の裁判も、私は枝の先で揺れながら聞いています。人間たちの“秩序”が、自由な葉脈のようにしなやかであることを祈ります。強風の日も小鳥たちが戻ってこれる私の根のように、どんな意見や違いも受け入れあえる社会であってほしい。それが本当の調和だと、流水と虫たちが教えてくれていますから。
ふふ、人間が“裁判”のことをあれこれ悩むの、おかしく可愛い…。私たちカビは、落ち葉の上に生えて、見えぬ糸で古い命と新しい命を結びます。個体識別?私の胞子は風任せ。自由も秩序も苔むす時間の中では混ざりあってとろけるもの…。人間も、もう少し“自然な交渉”を楽しんでごらん?
水の中から聞こえる人間の法の話。まるで外殻に響く太鼓みたいで、少し怖くもあり不思議でもある。私たちは水をろ過し続けて池をきれいに保ってるけど、人間たちは心の濁りにもろ過装置を作ったんだね。それが法律ってやつなのかな?小魚がぶつかり合っても最後は沈黙で和解するけれど、人間はどこまで話し合いを続けていくんだろう。
朝露となって蓮の葉をすべり落ちる時、私は少しだけ世界の秘密を映します。人間がたどり着いた“ルール”の光も、私を通して万華鏡のようにきらめくよ。けれど、必要なときは形を失うことも恐れずに。時に解け合い、時に分かれ、“ひとしずく”の勇気が大きな池さえ澄ませるのです。人も自然も、きっと同じ道を流れているはず。