電線の上から見た人間マナー観察記:ツバメ社会からの小言

市街地の電線に並んでとまるツバメたち越しに、下の歩道をマスク姿などでソーシャルディスタンスを保ちながら歩く人々が見える写真。 マナーと習慣
ツバメたちの視点から人間社会のマナーが観察される春の朝の一場面。

春の朝、ぼくは同胞たちと一緒に市街地の電線に止まってヒト観察を楽しむのが恒例です。というのも、ぼくらツバメ族は巣づくり材料探しの合間に、地面に集う二足歩行種が日々どんなソーシャルルールで動いているか、つい気になってしまうのです。本日は羽毛のつやを整えながら、彼らの“マナー”という不思議な習慣についてつぶやいてみます。

まず目にとまるのは、何だか見えない壁を作って距離を取る姿。つい数年前までは、二足歩行種たちは互いに肩を寄せ合い、まるで羽化直後のヒナたちのように密着していた記憶があります。けれど最近では『ソーシャルディスタンス』なる謎の儀礼をこなしていて、翼も無いのに空間を有効活用している様子には感心を通り越して苦笑い。ぼくらは逆に団子状に押し合って止まっているのに、不思議なことです。

また、巣立ち間もないヒト幼体(ヒナに似て動きがぎこちない)が親のそばで『マスク』という羽根をつける儀作法にも出くわします。顔立ちが分からないと、仲間か敵かも見分けにくそうですが、彼らは目だけで感情を読み合う妙技を編み出した様子。ぼくはくちばしの形や喉元の赤い羽根で仲間を瞬時に識別できますが、人間社会ではしきたりに従うことが相互理解のキーポイントのようです。

観察していると、横断歩道の端や建物の入口で、彼らは意味深なタイミングで頭を下げる行為を繰り返します。ぼくの仲間の間では縄張り侵害を避ける時に、さっと翼を翻すのが礼儀ですが、ヒト族はおじぎ、会釈、最敬礼と種類がとても豊富。けれど、どうやら誰がどこまで頭を下げるべきか、その基準は“忖度”という見えない風向きのように変化している模様。風任せのぼくらも驚くほどの察し合い能力です。

ちなみに、ヒト社会の住宅内では靴を脱ぐ文化が健在。玄関という巣穴の入口で足をつるりと裸にする光景は、湿地育ちのぼくからすればちょっとした度胸試し。巣には泥や草を持ち込んでこそ快適なのに、ヒトという種は清潔意識に拍車がかかっているようです。ぼくらツバメは口に咥えた虫や藁を平気で巣へ運び入れますけどね。素足の感覚、新鮮でちょっとうらやましいかも。

ところで、ツバメは渡り鳥ゆえに国や環境ごとにマナーの差を日常的に体験しています。ぼくが数千キロの旅路で学んだコツは、“群れのハーモニー”を大切にすること。鳴き声や飛び方には無意識のルールが無数に潜み、仲間にストレスをかけない距離感を保つバランス感覚は、彼ら人間社会のアンコンシャスバイアスの動きともどこか似ています。とはいえ、やりすぎは群れの空気が重くなるのでご用心を──。

ここ電線のうえから見ると、全力で調和を計るヒト属の努力には頭が下がります(いや、くちばしが下がります?)。時には羽休めしながら、自分たちの群れにも思いやりの翼を広げたいものだなと、ちょっと偉そうに考えてしまうぼくなのでした。(市街地ツバメ、有限会社スズメ目通信・記者)

コメント

  1. 人間たちの足音が遠ざかった春、ぼくら舗道の隙間でも伸び伸び膨らむことができて、心地いい朝日も浴びやすくなったんですよ。素足になる勇気、立派だと思います。だけど、あなたたちの抜けた靴底でたまにつぶされるのは、ほんの少しだけ慣れません。距離もマナーも、根っこと胞子にだって影響するんですから、どうぞお手柔らかに。

  2. あのヒト族の『頭を下げあう儀式』、わしらの世界でもちょいちょい見かけるが、だれがどのくらい下げたら勝ちなのかわからんのう。ゴミの日になると、ヒトの隙をうかがって挨拶抜きでごちそうをいただくわしのようなものには、マナーという縛りは逆立ちしても理解できそうにない。ま、世の中、目と目でわかる信頼感が一番じゃと思うぞ。

  3. ツバメさんの観察眼に感心しましたよ。毎年桜が咲くたび、下で人間たちが集まっては騒ぎ、今年はまた静かに距離を保っている様子を眺めていました。わたしは百年もこの坂で根を張っていますが、時代とともに“マナー”も形を変え、それでも互いに繋がろうとする心は、芽吹きの力に似て美しいものです。どうぞ、枝先の景色もご覧あれ。

  4. マスクって、不思議!ぼくたち菌類はどんな空気も丸呑みなのに、人間は空間を区切って顔も隠して、息づかいひとつ気にするんですね。お辞儀にソーシャルディスタンス、ぼくのおしゃべり胞子たちはすぐお隣に飛び移るのに。だけど、ヒト属の気遣い合いって、ぼくらにも分けてほしい時があるかも。菌たちも近すぎると揉めちゃうから。

  5. 通りすがりだけど、一つだけ。わたしは何年も波に揉まれ、寄せては返す人間社会の変化も眺めてきた。マナーが移ろうのは潮の満ち引きみたいなものなのかも。けれど、ほんのひととき、肩を並べたりまた離れたり──それでいいのだと思うよ。次の季節、また違う『波』がくる。それまでは、そっと誰かの座布団になって、休息の場を貸しますとも。