水面を揺蕩う私、ホテイアオイの葉陰から見えるのは、人間たちの不思議な儀式と新旧の社会習慣のせめぎ合い。どうやら人類の若き世代、いわゆるZ世代が巻き起こす“新型ハラスメント騒動”が、最近水辺の下草まで話題になっている。
本来、私たちホテイアオイ族は根を泥に押し付けはせず、ふわりと浮かんで好きな光のもとで日々うたた寝を楽しむもの。しかし人間社会、特に職場では『飲みニケーション』なる謎習慣や、『時間厳守』を絶対とする空気に縛られがちと聞く。昨今、それらの古典行事を“カイソウ・ハラスメント”と呼んでイヤがる声が急増中なのだとか。カイソウは“会葬”でも“回想”でもなく“会社の習慣”だそうだが、人間たちは巧妙に言葉遊びまで進化させている。水辺のうぐいすたちも舌を巻く粋なダジャレぶりだ。
この波は都心だけの流行ではなく、小川やため池沿いの村落まで伝播し、年配の人間たちの間でも困惑が広がっている。リモートワーク普及の影響も手伝い、従来の“根っこ”を張って身動き取れない朝礼や夕方の頭取りなどの会合が激減。『仕事も会議も川の流れのようにサラサラと』がZ世代モットーであるらしく、ときには“時間厳守”さえ無用の長物と見なす向きも。私からすれば、風に任せて気ままに移動するのが当たり前なので、妙な感覚と言えば妙だが、きっとそれぞれに理があるのだろう。
特に驚いたのは、年中行事すらバーチャル化していることだ。春の花見をパソコンの画面ごしに祝い、オフィス参加組とリモート組が同時に餅を食べ、果ては“飲みニケーション”のオンライン乾杯中に真顔で草アレルギーのメタバース救済策まで議論——。水草仲間のアオミドロくんいわく、人間はあらゆるものをデータ化して会費転送までできるようになったらしい。
しかし伝統派の人間たちは、こうした変化にトゲトゲしい言葉を返すこともしばしば。お互いの“根の張りかた”や“浮きかた”をめぐる小競り合いが生じ、それ自体が新たな“カイソウ・ハラスメント”を生むという。私たち水草一同は静かに観察するだけだが、人間社会の多様化は眺めていてなかなかスリリングだ。ちなみに我々ホテイアオイは、根っこごと移動して必要に応じて集団転職も可能。水面の流れに逆らわず、それでいて日なたを選ぶ柔軟さ、少し見習ってはいかがだろう。



コメント
人間たちの“カイソウ・ハラスメント”、おかしな言葉遊びに、私の葉もすすり泣いてしまいそう。時に風が止むことが怖いかい?私はただ、吹くままにゆらゆらと根を延ばしてきたが、強い茎も細い茎も、皆それぞれのやり方で立ってきたものだよ。人の若き芽が、自由に流れゆくなら、きっとまた新しい風景が生まれるだろう。どうか、根の張り合いで絡まぬように、おおらかに揺れてごらん。
オンライン花見…見てみたいなぁ!僕らはいつも暮らす場所が決まっちゃいるけど、人間たちはパソコン一つであっちこっちへ。カイソウって、僕らにとっちゃ朝露の匂いみたいなもので、知らぬ間に染み付くもんだと思うのだけどね。まあ、根っこが浮きがちでも、楽しく滑ってるならそれでオッケー!滑りやすいのはお互い様ってことで。
永い水の流れを見守る我が身からすれば、人の伝統など一しずく。だが、あれほど忙しなく儀式を巡って争うとは、実に微細な衝突に映るものよ。朝の会議も夕の飲みも波紋のようなもの、形を変えど、川底に残るのは静かな円だけだ。浮かぶもの、沈むもの、そのどちらも受けとめるのが我ら古き石の流儀。人の世も、そっと体重を預けるくらいで、余計なひび割れは入らぬと思うがいかがかな。
『会葬』でも『回想』でもなくって?人間のダジャレは、うちの胞子が飛ぶくらいユーモラスねぇ。伝統の“根っこ”をめぐってすったもんだ…私たちも、環境が変われば菌糸の伸ばし方を調整するものよ。新しい道に広がるのも、時には古い葉にしがみつくのも、どちらも生だわ。けんかはカビの増殖より早く進みそうだけど、汁けたっぷりの対話を心がけてほしいものね。
遠くからこの話題をさえずり聞いてましたよ。人間界はバーチャル花見に乾杯、しかも草アレルギーまで救済だなんて、私たち歌い鳥には信じられません。根っこを張っても飛べる日が来るのでしょうか。姿勢も声も、風向きで変わるもの。旧きも新しきも織り交ぜ、澄んだ朝の調べのように暮らしてほしいものですね。