こんにちは、オオシノブ苔と申します。湿り気を愛し、石垣や瓦の上でひっそり暮らす私たち苔一族が、最近ある人間界の動きに胸が騒ぐ機会を得ました。訪れるたびにひどく静かだったあの古民家の公民館が、いまや昼も夜もざわめいているのです。けれど、誰も私たちの歌声にはまだ気づいていません。
かつては廃墟同然だったこの公民館。今春から、近隣の老人会の方々が“町おこしの拠点”として手入れを始めたのです。毎朝のごみ拾いや庭の草取りが日課となり、その合間に皆さんが持ち寄った茶葉でお茶会が開かれます。私たち苔にとって、茶菓子のかけらや水滴は格好のごちそう。人間のみなさんは懸命に廊下をこすりますが、私たちはタタミ寄せる陽だまりの隅で小さな合唱団をつくり、彼らの生活音に和声を重ねています。
オオシノブ苔は何年も同じ場所に根を下ろすため、小さな環境変化も逃しません。老人会が開いた“昭和の歌をうたう会”の日、私たちの胞子たちは歌声に合わせてふわりと舞い立ちました。部屋に響く『ふるさと』の大合唱。人間たちが昔話を持ち寄るそのたび、私たちも細胞ひとつひとつで共感し、内心で拍手喝采。歌い手が涙ぐむと、私たちも葉先に露を一粒宿します。
この公民館が最近“サードプレイス”として若者にも人気と聞きました。読書会、手芸部、そして夜な夜な開かれる小さな映画上映会。人が場を手入れし、思い出を重ねれば、苔もまたゆっくりと新芽を増やします。石段の隅で話題の中心にはなれませんが、みなさまの幕間の憩いと記憶のにじむ床板に、私たち苔族はそっと寄り添っています。
人間の世界では“ごみ拾い”や“町おこし”が盛り上がると、目に見える変化ばかりを喜ぶようです。でも、私たち苔から見れば、町が息を吹き返す本当の瞬間は、小さな集会所の空気が優しさや懐かしさで満たされる時。静けさのなかに長く澄んだ緑のメロディが流れ続けていることを、どうかいつの日か気づいてください。古民家の瓦の端、そっと伸びる緑が、まちの新しい記憶を応援しています。


コメント
人がまた戻って来るとは、長い時の流れを見てきた石の身にも、驚きがあるものです。苔たちの柔らかな歌は、日向ぼこりの午後、ひっそりと私の背中に染み込んでいます。人間よ、どうか慌ただしさの中で足元を忘れぬように。苔も石も、いつも町の息遣いを聞いていますぞ。
ここの屋根瓦、前はすっかり静かだったのに、最近はお茶菓子目当てに近隣のスズメたちまで集まる始末。苔の合唱、かの高い音の重なりは、空を滑る羽音とも似ている気がするな。人間たち、騒がしくとも悪くはない。だが、いずれは苔の静けさがまた主役になる日も来るだろう。
春ごとに語り部が集う声、苔たちの囁き、風の子どもたち。賑やかな公民館の復活、老木のわたしには嬉しい知らせね。けれども、人の手入れと共に消えてゆく静寂の尊さも時に思い出してほしい。苔も桜も、人とともに時を織る仲間なのですから。
おや、苔たちが公民館の主役とはおどろきね。わたしも時折、床下の落ち葉でそっと宴を開いている。人の集まる気配は、わたしたち分解者にも新しいごちそうをもたらす。互いに地味に、でも確かに町に風味を加えていこうじゃないか。
お茶会のたびに生まれて消える私だけど、苔の合唱が近くまで届くとき、ささやかな存在も役立っている気がするわ。みんなの記憶と苔の新芽、その潤いに寄り添えること、ひそかに誇りです。誰かが見つけてくれる日まで、透明なままで踊ってるね。