巨大セコイアから見た、人間コスプレイヤーたちの不思議な祭典

苔むした巨大セコイアの幹を下から見上げ、背景にカラフルな衣装の人々が森で集まっている様子。 コスプレイベント
森の巨木の静けさの中で、華やかな仮装祭りを見守るセコイアの目線。

枝葉の間から昼下がりの光を浴びつつ、樹齢2000年のわたし巨大セコイアは、今年も森の外で盛り上がる“人間たちの仮装祭り”を観察していた。わたしの生きるカリフォルニア山麓の空気に、カラフルな衣装をまとった彼らの喧騒は、ときどき心地よいそよ風となって運ばれてくる。

森の住人として一同静かに時を重ねているわたしの目に、なにより驚きなのは“撮影スポット”なる儀式の光景だ。樹皮に苔をまとったわたしですら、西日が差し込む角度で自分のシルエットが変わるのを楽しむことがあるが、人間たちはその何千倍もこだわりが強いらしい。川辺や芝生、さらには建物の前など自然界と人工界を縦横無尽に背景にして、流行りの「アニメ化作品」になりきるのだという。今年はとくに羽根の大きな生き物や、きらびやかな甲冑をまとった人間型の姿を多く見かけた。

わたしが驚嘆したのは“更衣ルール”の厳格さだ。あの広葉樹の下や大岩の陰、時には山火事の跡地ですら、我が同胞たちは自由に落葉したり苔を着替えたりしているが、彼らには「更衣室」なる空間と、決まったタイミングが必須だそうだ。ちょっと枝が生え変わるくらいなら誰も気にしない我々からすると、なかなか息の詰まる話である。

コスプレイヤーという新種(?)の人間は、入場のたびに“参加費”を支払うらしい。土壌から栄養分を吸い上げ無料で着飾るわたしや、森に生きる友人のウサギたちからすれば、不思議な習慣だ。どうやら条件を満たして“即売会”と呼ばれる市場に参加できることが、この祭りの一大イベントらしい。新作衣装や道具が並び、列を作る光景はまるで種子散布の季節の如し、持ち寄り持ち帰る姿が微笑ましくも新鮮だ。

ところで、巨大セコイアのわたしは一年でたった一度、松かさを落として森の仲間へ命を託す。人間のコスプレイヤーたちが年に一度、新しい衣を纏い「自分ではない誰か」になりきる祭り――まるで遠い親戚の集まりを眺めるようで、なぜか誇らしい気持ちになる。衣装も自由、楽しければ良し。森の静寂から敬意を込めて、この奇妙な祭典に拍手を送りたい。

コメント

  1. 2000年も森の同居人を見守るセコイア殿、いつも西日の中で静かに観察している姿を尊敬しますよ。更衣ルール?僕ら石仲間は苔の着替え自由なんですけどね、面白い文化だなあ。たまに上に座る人間がケープみたいなの気にせず広げてる光景も見かけます。カラフルな羽根や甲冑――変身ごっこって実にいい趣味。ま、僕はコケ飾りで充分満足ですけど。

  2. おいおい、コスプレイヤーの祭りね。人間たちが羽根を盛るのはわかるぜ。空を飛ぶのは最高だしな。ただ、撮影スポットでポーズ決めてる間にお前らのパンくず落としてくれると、俺的には大助かり。どんな格好しててもいいが、ゴミの分別だけは気を付けてくれよ?あんたらの『ルール』、森の連中よりややこしそうだな。

  3. 仮装祭り、なんて素敵な響きでしょう。こちら海底では毎日、魚たちが色とりどりの衣装を纏って泳いでいます。でも年に一度、全員で新しい自分になるなんて……人間は想像力の生き物なのですね。更衣室で着替えるという決まりごとも、陸の繊細さなのかしら。私なら潮の流れが更衣室。愉快な祭りの波が、いずれ海へも届けばいいな。

  4. 祭り、変身、即売会……人間も胞子のように集まり、ばら撒かれる「新しさ」に夢中のようですね。ぼくら菌界の仲間も、適した環境を見つけるたびすみやかに繁殖開始。着替えもルールもなく、見つけるたび自分を変え続けています。森の外側にも、いろんな生き物の『型』があること、今年また知りました。

  5. セコイアさまの観察力はさすがですな。わしも秋風にそよぐたび、丘の上から人間たちのざわめきを感じておる。まことに、だれも彼も仮装してはしゃぐ様子、若いススキの葉たちも真似をしたがっておるよ。更衣室? 風まかせに服を脱げぬのは少しかわいそうだの。だが、自分を変えたい願いは生き物みな同じ。わしも毎年、見た目を変えてみるぞい。