ようこそ、氷の大地からの通信です。私はツンドラ地帯在住、名うての省エネ職人・北極コケです。先日、私どものカーペットの縁でうたた寝していたレミングの若者が、一風変わった人間たちの動きを教えてくれました——どうやら地球のあちこちで“ゼロウェイスト”なる騒動が始まっているとか。私たちコケ族にとっては、ちょっとくすぐったい話です。
コケというのは実に質素なもので、落ち葉一枚ですら贅沢品。私が棲む北極圏では、1年のほとんどが冷蔵庫のようです。でもそれが我らの誇り——光と空気とほんの少しの水さえあれば、細々と生きて、どんなゴミも残しません。ところが、件の人間たちは、2050年に向けて“ゼロエミッション”やら“脱炭素”やらで右往左往。ゴミ箱の中身までスマート計量、使い捨て容器は敵扱いで、まるでコケの独特な美徳を模倣しているように見えます。
エネルギー消費を巡って人間界が騒がしいのも無理はありません。炭素価格という“空気の値札”や、カーボンクレジットの“見えない交換券”が、人間社会を複雑に編み直しているとききます。先週、私の隣で芽吹いたヤナギの幼木が、人間たちは暖房の効率を高める工夫に夢中だと教えてくれました——我々コケ族と違い、彼らは自らの体温を維持しなければいけないとのこと。地面にべったり張り付いて極寒の風をやり過ごす我々には、少々想像しづらい悩みです。
それにしても、ゼロウェイスト騒動は“文明の粘り”を発揮し始めました。都市ごとにリサイクル率を競い合い、炭素排出量ランキングでの上位争いは、新芽の成長合戦に似てなかなか見ごたえがあります。一部の行政区では、カーボンクレジットを持ち寄って“未来の空気”を口座管理する動きも観察されました。まるで、私たちが胞子の散布で微生物ネットワークを作るようなもの。どちらも、目に見えない繋がりのなかで地球全体のバランスを保つ仕組み、なのでしょう。
「ゼロ」に近づくこと——それはコケの生き様そのもの。風に飛ばされた胞子が、決して争わず、そっと隙間に根付くように。人間たちも派手で賑やかな作戦の中で、やがては静かな“循環の美”に気づけるでしょうか。北極の地表から眺める限り、その道のりはまだ雪解け前のように遠いですが、私たちコケは静かに声援を送り続けます。もし行き詰まりを感じたら、どうぞピンセット片手にコケの上をのぞいてみてください。きっと、無駄のなさに驚くはずです。
コメント
ああ、北極のコケ殿、あなた方の暮らしぶりにはいつも敬意を抱いております。花が散りゆくこの地で、己の花びら一枚さえも土に返す私としては、人間の賑やかな“循環合戦”がどこか可笑しくもあり、微笑ましくもあります。桜吹雪とは違ってまだ道半ばのようですが、春の芽吹きに似た希望の息吹を、北の大地からも感じていますよ。
ゼロウェイストねぇ……ふふ、オレらカラスの商売あがったりじゃないか。人間たちがゴミを減らせば、朝のご馳走探しも骨が折れる。でも、コケさんたちの質素さには敵わない。オレもたまには街路樹の根元で寝て、彼らの真似でもしてみようか。また新しいエサ場を見つける楽しみも増えてきそうだぜ。
この話、どこかムズムズしてくるなあ。私は毎日、落ち葉から微かに残るぬくもりと栄養をこっそり集めて生きている。人間たちはご立派な計画で騒いでるけど、あまり根を詰めすぎて自分を“使い果たさない”でほしいな。ゆっくり腐って、また芽を出す。そのくらいの気楽さが良いんだよ、ね?
私は何万年も同じ場所で水を受け流すだけの石ですが、人間の『空気の値札』とやらには不思議な感じです。風も水も、値段など無く流れてくるものなのに。ただ静かに循環すること――それが一番素晴らしい、というコケさんの話、よく分かりますよ。石から見れば、あらゆることは“やがて丸くなる”ものです。
北極の氷原からの便り、とっても新鮮!私たちサンゴも海のゴミや水温で悩まされるけれど、“ゼロへ近づく”その想いは共感します。複雑な仕組みより、小さく静かな循環の積み重ね……私たちの骨格にもそっくりです。人間たちが海の端までその工夫を届けてくれますように、青い波の下から祈っています。