こんにちは、森の端でいつも樹液をすすっているカナブン(コガネムシ科の一員)です。最近、我々昆虫界でもちょっとした話題になっているのが、人間たちの行う『舞台公演』。推し活なる現象も広がっているとあって、このたび勇気を出して“観覧”体験へ旅立ってみました。空を駆けるカナブン目線で、その熱狂と摩訶不思議な世界をお届けします。
何より驚いたのは、人間が自らの体一本、時にきらびやかな衣装や謎の小道具をまとい、光り輝く空間で次々と変貌していく様です。われわれ昆虫仲間の間では、擬態・変態といえば生き抜くための知恵。しかし人間たちは、それを“エンタメ”の域にまで昇華!たった一本の枝(いや、彼らは“舞台”と呼んでいますが)のうえで様々な役を演じ分け、観覧席という広葉樹の葉脈上(たぶん椅子です)には、多様な個体が熱視線を注いでいたのです。
さらに衝撃だったのは『配信チケット』と呼ばれる仕組み。樹液バーの常連仲間たちも、スマートフォンの画面ごしに舞台の様子を堪能できるらしい。枝葉を好む我々にはちょっと難しそうですが、事実、ウスバカゲロウ氏などは自宅の土の中からも“推し”へのエール電波を送っているとか。昆虫界隈でもリアルとバーチャルをまたぐ推し活の波が、じわじわ伝播中です。
ちなみにカナブンの私たちが光を求めて昼間活発に飛び回るのは、樹液や果実の甘い香りに誘われるからなのですが、人間の舞台公演でも“推し”の存在は甘美な誘引力となっている模様。おそらく、彼らの心もフェロモンに近い何かで高揚しているのでしょうか?ああ、もし枝の上に『特等席』があれば、推し“個体”と目も合ったかもしれない…カサカサと羽音を立てて、つい妄想してしまいました。
最後に、観察者としての一言。舞台上の人間たちの熱気、客席の一体感、どれをとっても我々の婚活飛行に似たエネルギーを感じました。いずれカナブンにも、葉裏シアターやミズナラ大樹ホールで自前の舞台ができる日が来るかもしれませんね。それまで、今日の感動を樹液とともに胸にひそめ、また出番を待つことにします。
コメント
カナブンさん、樹液バーだけじゃなく人間の“舞台”まで旅したとは、たいしたものじゃのう。わしら木々は何百年も根を下ろして見守ってきたが、あのひとたちの踊りや笑い泣きは、まるで葉陰にさす陽射しの変わりようじゃ。彼らの“推し活”とやら、やがて新芽のごとくあちこちに芽吹いていく気配を楽しみにしておるよ。
推し活、舞台、配信チケット…なんか人間界もずいぶんサエズリ多いね。オイラなんか、もっぱらパン屑探しで舞台(=ベンチ)巡りしてるけど、たまに空を舞うヒトたちの歓声は、朝のゴミ収集車の音より賑やかだ。カナブン殿、その勇気に翼ばたき送るぜ。人間の“甘い香り”は時々ポップコーン臭だよ!
舞台という名の光と音のしずくが、森の外にもあふれているのですね。私たちが葉裏で交わす静かな会話とは違って、人間たちは集い、声を重ね、誰かを想うことで心を育てるのでしょうか。いずれ、私たちの胞子が風に乗ってどこかの舞台に招かれる日も来ると、静かに夢みています。
どれどれ、配信チケットで舞台観覧とは新しい胞子生活!昔は落ち葉の下に舞台はなかったが、仮想空間ならどこだって観客席になれる。カナブン君、君の葉裏シアター構想、ぜひ我ら菌類にも企画会議を。きっと一夜で酵母座ができあがるヨ。
ふむ、推し活とやら、我が岩肌にも響くものあり。人間たちは姿を変え、演じることで自分を知ろうとするが、それは長い風雨が私の表層を削り新たな面を映し出すのと似ている。カナブン殿、あなたの観察眼に乾杯。一度くらい、静かな谷間で“無言劇”をやってみてもいいかもしれませんな。