テクノロジーガジェット

ついに地面に降りてきた?人間の“手の進化”ガジェット最前線を、街路スズメが徹底取材

春になると、歩道の端で羽を伸ばしている私たちスズメ一族の間で、少し奇妙な話題が持ち上がっている。小さき人間どもが、ここ最近せっせと運んだり取り替えたりしている“謎の道具”――エルゴノミクスマウスや曲がったキーボード、光る板型のスマートフォンなどが、ただのカバンの中だけでなく、あちこちで地面スレスレの位置に現れるようになったのだ。羽毛の隙間で目撃談を交わしつつ、街路スズメ歴3年の自分(フェンス脇の柏餅横で生活中)が、全力で現場取材してみた。
ファッション

東京の空を彩るシャツの大波!屋上ハト、流行を鳥目線で観察

最近、東京のビル街の屋上から見下ろしていると、どうにも気になる現象がある。カラフルで布きれのようなものが人間たちの羽根(この種の場合は“シャツ”と呼ぶらしい)として、新旧問わず次々と変わっていく様子だ。巣を構える身としては、あの“ルーズフィット”とやらがどう役立つのか、知る由もない。ただ、都会の流れの速さとファッションの移り変わりに感心してしまう時もある(羽根の手入れしか考えない身なのに!)。なお、この記事は新宿駅すぐ近くの雑居ビル12階の縁石にて、老舗屋上ハトが執筆している。
スマート都市

屋上の苔が見るスマート都市の進化と省エネ社会の光と影

わたしはコンクリート製ビルの屋上で日々を過ごす苔(推定6年目)。最近、下界の変化が目まぐるしくて、風通しは良いものの、静かな日差しのなかでなにやら世の中が相当賑やかになっていることに気付きました。どうやら人間たちのあいだで「スマート都市」なるものが花盛りのようです。屋上から見下ろす限り、夜も昼もやたらと光が移ろい、建物も町もまるで呼吸する生き物のよう。さて、この地上の進化はわたしたちコケ族の目からどう映るのか、ご報告したいと思います。
自然災害

台風も人間の防災グッズも見た!山の老スギが語る自然災害最前線

毎年、激しい風や雨にさらされながら数百年も根を下ろし続けてきた山中の老スギより、お隣の渓流沿いに立つともだちの巨石や足元の苔たちとともに、今年も自然災害ウィークの観察報告をお届けします。わが身の枝を揺する突風から、森の生きものの避難、それに下流の乾いた住宅地での人間たちの慌ただしい動きまで、全部まるっと見えているのですよ。
教育と学習

校舎の古参アカマツ語る――人類学級の“学習進化”観察記

春風が松ぼっくりの間をすり抜けるこの季節。私、校庭の隅にどっしり構えて113年目のアカマツは、遠くから見守る“人間学級”の今昔を見つめてきた。毎年、制服姿の小さな二足歩行生物たちが成長し、時に泣きながら、時に笑いながら、知恵という根と葉を伸ばしていく姿には、雲の流れにも似た変化が宿る。最近はどういうわけか、彼らの学びにも“不思議な変異”が現れているようだ。
登山

低山ハイク流行で賑わう登山道を苔が実況!装備とマナーの最前線

「最近、ずいぶんとにぎやかになったな」。標高642メートルの山に根を張る苔のミドリズミは、朝露を吸い上げながら斜面を見上げた。春の週末になると、カラフルな登山リュックやピカピカの登山靴が、登山道を埋め尽くすようにぞろぞろとやって来る。どうやら人間たちの間で“低山ハイク”や“日帰り登山”なる楽しみが流行っている模様だ。
営業

営業アリ、担当エリアを拡大中!人間宅での訪問活動が活発化

朝露に濡れた土の間を、私たち黒アリの営業チームは今日も軽やかに駆け巡っています。庭から軒下を経て、ついに最近、新たに人間住宅の内部エリアまで担当区域を拡大しました。これがどれほど画期的な営業戦略か、隣のダンゴムシには到底分かるまい。地表営業歴3年目の私、庭の黒アリ(本名ムギ)、現場の最前線からレポートします。
テレビ番組

夜の森で話題沸騰!ウグイス主演の新リアリティーショー、人間が密かに観るワケ

皆さま、こんにちは。雑木林の落ち葉(去年の10月に舞い降り、そのままホストを担当中)です。昨今わが森エリアでひそかに話題となっている、鳥たちによる夜通しのリアリティーショーについて、人間観察記録を交えてお届けします。
家族

川岸の石、家族旅行するヒト科について語る

こんにちは、川岸の中ほどに半年ほど鎮座している丸石です。今回は、長年私の上や脇を通り過ぎていくヒト科生物たちの“家族”事情について、真面目に観察した成果をお届けします。いやはや、彼らの賑やかさときたら、我々石ころどものミネラル交流会など足元にも及びません。
政治改革

苔むした切り株が見た、デジタル民主主義混乱の森議会事情

森の片隅の切り株の苔として、ぼんやりと朝露を味わいながら、最近の人間社会の政治改革騒ぎには思わず胞子を飛ばしそうになってしまいました。枝先を渡り歩くアリたちの合議制と比べて、人間たちはどうやら自分たちだけの特別な“ルール”と“やりとり”に夢中らしいのです。