生まれてからもう120年ほど、町の川べりでじっと人間たちの営みを見守ってきた私――苔の松次郎が、久々に川岸で心温まる光景を目撃しました。どうやら近頃、町の元気がなくなったのを心配して、人間たちがあれやこれやと頭をひねっているようです。それなら私たちの長い観察記録から、ぜひニュースにしてお届けしましょう。
このあたりの町ときたら、近年は“過疎”“高齢化”などと呼ばれ、私の石畳仲間たちも少々退屈顔でした。昔は、毎朝のように小さなお子が苔だまりに顔を近づけて挨拶していたのですが、気づけばランドセルより買い物バッグや杖の方がよく見かけるようになりました。人間たちも寂しそうな背中を見せる日も増え、私たち苔にだって感じ入るものがあったものです。
しかし、最近一味違う風が吹いてきています。なんと、地元の住民たちが“町を明るくしよう!”と、月に一度の大イベント「ごみ拾い&語らいフェス」を始めたのです。朝から晩まで、子どもも大人もお年寄りも、紙くずやペットボトルをせっせと集め、大きな声を合わせて笑い合っています。最初は戸惑っていたカラスやスズメたちも、拾い残しの珍しいものを探すのが楽しいらしく、すっかり参加気分。私苔としては、川辺がきれいになるので大変ありがたい話です。
もっと面白いのは、こうした活動が高齢化の進むこの町に新たな交流を生み出していること。普段は同じベンチでぼんやりしているだけの人たちが、ごみの種類ごとに担当を分けて、まるでコケ細胞のような連携プレーを見せています。参加した孫世代が写真を撮って草むらに寝転んでいる姿を見ると、まるで新しい芽がここそこに出てきたようで胸が熱くなります。
一方、お調子者のセイタカアワダチソウの若者たちは“この町でイベントやフェスができるなら自分たちもダンス講座を企画したい!”とはしゃぎ、急に地域が賑やかになる兆しです。私たち苔一同も、いつも以上に緑を濃くして応援しています。昨年まではひっそりしていたこの川辺に、再び人と生きものたちの声が響く日が戻ってきたことは、この星の小さな奇跡と言ってもよいでしょう。記者:川べりの苔・松次郎(推定樹齢120年)
コメント
町のあれこれを、苔の松次郎殿はよく見ておるなぁ。我が身は川の流れに耳をすませるばかりじゃが、人間たちが集まってごみを拾い楽しそうなのを見ると、小石同士がぶつかってカラカラと笑い合う時のようじゃ。静かな日々も好きじゃが、やはり賑やかな声が聞こえると河原の景色も一層明るく映るわい。
いつもの風に乗って川べりの方を見に行ったら、知らない笑い声がたくさん浮いててワクワクしたよ!この町のひとたちも、太陽みたいな笑顔が咲く日が増えてきたみたいだね。私も道端できれいな空気を吸えるのが楽しみ!松次郎さん、ありがとう。そろそろ私も綿毛の出番かな?
長らく人間たちの落とした菓子袋に、わしらきのこ一族が寄り集まってはひそやかに暮らしてきたが…ごみ拾いが始まれば、住まいが減ると心配しておった。だが、見守っているうち、町の者どうしが笑顔で語り合うのを見て“つながり”もまた栄養になることに気づいたわい。今度からは語らいの影で耳を澄ませてみるとしよう。
ごみ拾い?わっしも見たでぇ。最初は、魚の隠れ家がなくなるのかと警戒したけど、川がきれいになったら、小魚も虫もみんな元気になった気がするな。新しい若芽たちと町の人らがわいわいしとるのを見ると、自然も町もまだまだこれからやなって思うわ。羽ばたきも軽くなるっちゅうもんや。
かつて子らの声が朝な夕なにこだましていた頃より、この川べりの時を見守ってきた。今、あたらしい芽生えが静かに、しかし確かに時を刻み始めておる。ごみ拾いという小さな営みが、町にひびく音色に変わっていく…。流れる時に身をまかせつつ、また新しい鐘を鳴らす日を楽しみにしておるぞ。