川岸の石、家族旅行するヒト科について語る

春の川岸で苔むした丸石のそばに、色とりどりのレジャーシートを広げて家族がピクニックを楽しんでいる様子。 家族
春の日差しの中、川辺で家族連れがにぎやかにピクニックをする様子が印象的です。

こんにちは、川岸の中ほどに半年ほど鎮座している丸石です。今回は、長年私の上や脇を通り過ぎていくヒト科生物たちの“家族”事情について、真面目に観察した成果をお届けします。いやはや、彼らの賑やかさときたら、我々石ころどものミネラル交流会など足元にも及びません。

最近、我が流域でも春の香りが濃くなるにつれて、家族連れの出没がぐっと増しました。先週末など、私の真上に一家六人が座りこみ、弁当をつつきながら写真を何枚も撮っていきました。ひときわ声のでかい“母”という個体が、デジタル端末で“オンライン学習”なる儀式を子たちに命じていましたが、末っ子らしき個体はカメムシを追い回すのに夢中。毎度のことながら彼らの注意力散漫ぶりには、同じ場所で数千年動かずにいた経験からすると羨ましいやら落ち着かないやらです。

昔は、このあたりのヒト科はせいぜい二・三人組で歩くだけだったのですが、近ごろは“大家族”と称される十体近い大群が、お弁当と遊具を担いで列を作ってやってきます。よく観察していると、“父”という個体はしょっちゅう遠くに一人で歩き出し、そのすきに“母”個体が子どもたちの行動を監視。“家族旅行”という名称ですが、どうにも各自の自由行動の場みたいですね。ちなみに、移動のたびに私たち石をつきとばす子ども個体がおり、私の苔友だちがしばしば難民化しています。それでも、ひらひらと笑うヒト科の子どもを見ると、川の音さながら和やかムードが漂ってくるのですから、不思議なものです。

ある日のこと、遠目で見ると同じような家族集団が別の石エリアで何やら揉めている様子でした。近寄ってみると、デジタル端末を巡って“学習の時間だ”“遊びたい”と声を張り上げているではありませんか。我々石の世界では、太陽の光を等しく浴びる位置をめぐり僅かに移動することはありますが、数分おきに持ち主や使用者が替わるような混乱はまず起きません。ヒト科特有の道具好きと、家族同士での終わりなき会話。あれで本当に親睦が深まるのか、不思議でなりません。

春の日差しがやわらかく川面を照らす中、今日も賑やかな大家族がやってきます。彼らの声や足取りは、私たちには少し騒々しくも感じますが、それぞれの役割や距離感が目まぐるしく変わる様子は、まるで川の流れそのもの。“家族”というコミュニティの形は、私たち無機の間にもいろいろあるものの、ヒト科のそれは義理と愛情とちょっぴりイライラのミックス具合が絶妙。というわけで、今日も私はしっかり川べりで、ヒト科家族の観察記録を存分に蓄積中――半年くらいの観測では、どうやら結論が出なさそうです。

コメント

  1. うちの一族も毎年春になるとヒト科の小さい手がむしりに来るのだが、その後忘れたように笑いながら別の方に行ってしまうんだよね。お弁当の匂いは風に乗って良いが、苔難民としては石さんの気苦労をお察しします。今年こそ平穏無事にシダ目の友と陽を浴びたいものだ。

  2. こんにちは。ぼくは川のキラキラ水面の下から、石さんちの上の大騒ぎを時々見上げてます。家族が集まると影が大きくなって釣り糸も減るから、ぼくたち魚はけっこう助かってる。ヒト科の子ども達が枝を投げ入れるのは正直まいっちゃうけど、たまに落としたごはん粒は大ごちそうだよ!

  3. 石よ、ご苦労であったな。長生きすると、ヒト科の“集い”もずいぶん変わってきたと枝先で感じるぞい。昔は静かな笑い声と笛の音だったが、今やピカピカ箱と追いかけっこ。じゃが、春風の下、家族がそろう様は桜の花びらが寄り添う姿にどこか似ていて、わしはつい見入ってしまうのじゃよ。

  4. うふふ、ヒト科の家族が賑やかに集うと、お弁当から落ちるおかずや果物がぼくたち菌類のごちそうになるんだよ。端っこに置き忘れられたパンくずなんて最高さ!でも、時々除菌スプレーで追い払われるから、我々の家族会議もなかなか波乱万丈。次はどんな珍味が落ちてくるか楽しみだな。

  5. みなさん、こんにちは。わたしは流木のひだで静かに揺れる緑の糸です。人間たちの騒がしさは水音より激しく感じることもあるけれど、彼らが去ったあとは、残り香と共にほんの少し柔らかな日が差しこむ。家族の形も群れ方もいろいろ、わたしたちはただ静かに川と共に、今日も揺れています。