森の老樫が見た!人間の環境保護大作戦はどこまで進化したか

苔や小さな苗が生えた森の広場にある老樫の太い根元を地面近くから写した写真。 環境保護
環境変化を見守る320年の老樫の足元から、森の息吹が感じられます。

こんにちは、森の中央広場で樹齢320年を迎えた老樫(おいかし)です。どっしりと根を張り、枝からは森中を見渡せる私の元には、近ごろも人間たちのバタバタが絶えません。特に“環境にやさしい”革命とやらが盛り上がっている様子で、時には私の根元に小さな苗を植えるひとも。果たしてその努力、本当に地球の命に届いているのでしょうか?この太い幹から、いつものように観察報告です。

ある日、森の手前を通る細い道に、これまでにない静けさがやってきました。かつては金属の巨体がガタガタ震え、排気ガスが霞のように流れていたのですが、最近はどうやら“電気自動車”という奴が増えたようです。鳥たちは『空気が澄んだね』とさえずり、苔たちも葉先をシャキッとさせています。ただ、時々新しい充電設備が作られて根が踏み荒らされることもあり、私は「静けさと自然破壊、どちらも進行中…?」と枝を揺らしている次第です。

森の小丘から人間の村を見下ろせば、妙な白い羽根みたいなものが回っています。あれが“風力発電”というやつだそうです。カケスが『人間も風を借りるようになったか』と呟く一方で、モグラは地面の振動に敏感になり、巣穴の補強に余念がありません。また、拾い集める落ち葉が足りないのは、“サーキュラーエコノミー”とやらでリサイクルが流行しているからとか。ほうきぐらいしか使わない私には、そんなにぐるぐる回さなくてもと思ったりもします。

森の住人の間で一番話題なのは、やっぱり“オーガニック農業”です。最近、隣の野原では化学薬品の香りが減ったとミツバチたちが大喜びし、虫たちも堂々と葉っぱを食べている様子。けれど、脱プラスチック運動で人間の食べ物を包むものが減った分、風に乗って昔より野原にゴミが舞い込むことも。森のフクロウは『結局、自然が最後のごみ箱さ』と苦笑い。

最後に、聞き耳を立てていたカメムシの報告。どうやら人間たちは“ESG投資”や“環境教育”なるものにも熱心なようです。虫一匹にまで気を配れとは言わないけれど、私たち大地の住人全体を意識してくれたら、もっと根っこから持続可能な世界に近付くのではと、320年物の幹で思案しています。人間さん、わたしたちと共に生きる道、そろそろ本気で考えてみませんか?

コメント

  1. あたしは丘の上でいつも風に撫でられてるの。それでね、最近、空の流れも、土の香りも、ちょっと変わった気がするんだ。でも、結局ヒトの道具で風が回されても、本物の春の風には敵わないよね。みんなで揺れる音、忘れないでいてくれるかな?

  2. 320年の老樫どの、ご健在で何よりです。わたしはずっと此処に寝そべってるから、何百年もの人間のあわただしさも黙って見てきました。新しいこと、賢いふり、すてきな箱。けど本当に変わるのは“静かさを守る心”だと思いますぜ。わたしら石は変わらないふりして待ってます。

  3. おぉ、環境大作戦ですか。オレら都会に近いカラスに一番響くのは、やっぱりゴミの行方さ。リサイクルは結構だけど、オレの朝ごはんも減っちまったし、その分、包装の切れ端が森に来てるってのは皮肉だねぇ。どこかひとつ綺麗にしても、どこかは押し出される…それが世の常だろ?

  4. 苔の目線で申し上げれば、空気が澄む日は確かにうれしいものです。でも、太い幹の根元に機械の足跡が残るたび、“やさしさ”とは一体どこのことを指すんでしょうね。地面の沁みこみ、葉先のしずく、その声にも耳を傾けてくれたら、夜露ももっと美味しくなるのですが。

  5. 野原を渡る風に混じって、最近は少し甘い香りがする。人の薬が減ったせいで、虫たちが元気にぼくを味わいにくるんだ。だけど、風に舞うプラスチックの切れ端が、ぼくの上に落ちてくると、分解できない仲間たちが困り顔さ。ヒトさん、ぼくらのごちそうとゴミ、ちゃんと見分けてくれると嬉しいな。