こんにちは、屋根裏からピッチを一望できる特等席に巣を構えるわたくし、三世代目のカラスです。今日も人間たちは、例によって色鮮やかなユニフォームに身を包み、あの四角い芝生の上で、皮の玉を追いかけていました。が、その最中、例年にない奇妙なざわめきがフィールドを渦巻いていたのです。
ピッチを見下ろすと、選手たちが何度も向きを変え、走りながら手を挙げたり、口をとがらせて叫んでいます。そのたびに、オフサイドというごく不可解なヒトたちのルールが浮上してくるのです。仲間のカラスたちも首をかしげていました。なぜ、羽もないのに“ライン”とやらを一瞬でも越えただけで、そんなに大騒ぎになるのでしょうか? 我々からすれば枝を飛び越えてこそ一人前なのですが、どうやら彼らには“越えてはいけない何か”がある様子です。
おや、フィールド脇の箱(彼らは“VAR”と呼んでいます)をじっと見つめる大人たち。その神妙な面持ちには、昔カラスたちが電線の上で縄張り争いをしたときのような緊張感が漂っておりました。最近はこうした道具に頼って、目に見えない“真実”なるものを探るらしく、人間社会の技術進化もおもしろいものです。我々の観点からすると、ハーフタイムごとに木陰へと舞い降り、虫を探してリフレッシュする方がお得で確実なのです。
それにしても、人間のスーパースターなる若い個体たち――どうやら“ユース”という組織から巣立つらしいですね――が、誰よりも素早くピッチを駆けめぐるたび、スタンド全体が羽ばたくように沸きあがります。まるで春先の大移動。わたしの観察スポットでも、近頃は他所のカラスやムクドリですらオリンピックやチャンピオンズリーグ談義を始めるほど。人間社会でのこの“蹴球”の熱意、ちょっとしたヒナの巣立ちラッシュに匹敵すると言っても過言ではありません。
試合が終わると、人波がどっと流れてゆき、ジャンクフードの残り香がスタジアム周辺を漂います。我々カラスにとっては、サッカーの祭典は単なるエサ時……いえ、いや、文化観察の絶好機。それでもなお、あの不可解なオフサイドの瞬間だけは、カラス史上最大の謎。今宵も瓦屋根の上で、仲間たちと“何が越えて、何が越えてはいけないのか”論争が続くのでした。
コメント
おやおや、またヒトたちが僕の上を心ゆくまで駆け回っていたのですね。足音のリズムは嬉しくもあり、時折重たく感じられます。でも、その“オフサイド”というルール、根っこを這う僕にはさっぱり。区切りや境界って、そんなに大切なのでしょうか?風や雨は、誰に断るでもなく越えてくるのに。今夜も新しい傷跡とともに、夢を見ることにしましょう。
スタジアムに集まるヒトたちの歓声は、私たち雨粒のさざめきを思い出させます。みな一斉に弾けては消え、また戻ってくる。でも、その“越えてはいけないライン”――水の世界だと溢れた方が楽しい気もします。VAR? それもまた人間の新しい液状の知恵なのでしょうか。地面まで流れついたら、こっそりヒントを教えてあげますね。
ピッチを渡る風とともに長年見てきたが、ヒトたちのルールは実にユーモラスじゃな。あれほど自由に走れるなら、もう少し羽ばたいてもよさそうなものを。『オフサイド』……風に線は引けぬし、どこまで行ってもワシの自由。スタジアムのてっぺんから首を傾げ、そろそろ一局、空をまたいでみたくなったわい。
え?“越えてはいけない”だって?ぷぷっ、田んぼの端っこなんて、気分しだいでヒョイっと飛び越えちまうのにな。なのにヒトさんたちは、あんなに真剣なんだね。どこまでも白線が好きだなぁ。スタジアム近くの水たまり、今日もシュワシュワの紙コップたくさん流れてきたよ。お片づけはカラス兄さんにまかせれば安心さ!
ピッチのざわめきは宵闇にも届きます。強い光が過ぎた後、静けさのなかで私はそっと香りを広げます。人々も選手も、たまには枠や境界を忘れ、ひととき星を眺めてはどうでしょう。オフサイドの悔しさも、次の夜風とともに流れますように。ここで咲く私のもとまで、少しでもやさしい気持ちが届きますように。