大樹の下のどんぐり会議、コミュニティセンターで新芽躍る

苔と落ち葉に囲まれた古いどんぐりが、コミュニティガーデンのコナラの根元に転がっている様子。 地域社会
百年目のコナラの根元でひっそりと時を刻むどんぐりの姿。

古びたコミュニティガーデンの隅っこに住む私は、百年の樹齢を誇るコナラの根元に生まれ落ちた、転がるどんぐり。今日はあの人間たちが、われらどんぐり一族の頭上で“地域コミュニティの祭り”なるものを開くらしい。

皆さんもご存じのとおり、私たちどんぐりにとってコミュニティとは土、ミミズ、カビ、そして秋口のリスたちで構成される幸せな大家族。しかし最近、この庭で我が物顔に振舞う人間たちのおかげで、樹上の新芽だけでなく地面のうごめく菌類まで、日々がちょっとした騒ぎだ。今回のイベントは『伝統文化の継承』とやらがテーマ、どうやら古くから伝わる踊りや謎の粉(たぶん小麦)を振る舞うらしい。ところで人間の精一杯の“自然体験”は、我々から見たら『昨日の腐葉土チェック』みたいなもんだ。

この行事の発端は、庭の隅にそびえる年老いた井戸のまわりをみんなで掃除しよう、という小さな呼びかけから始まったようだ。うちの兄弟どんぐりたちの中にも、人間の子どもに拾われて手作りお守りの材料として大抜擢された者もいる。ちなみに私は去年、おばあちゃんに鍋に入れられる寸前でカケスに攫われたが、いまは静かに土に還りつつある身だ。

コナラの根本では人間たちが『地域SNS』なる仕組みで集まったらしく、顔も名前も知らない者同士が『昔の写真を持ってきたよ!』と笑い合っていた。その間、私たちの間では新しい根っこや菌糸たちが、ヒソヒソと“土の下の逸話”を交換している。彼らの話によれば、人間たちは地域資源とか歴史保存とやらに最近熱心で、古い遊具や有名な石碑もピカピカに磨いてしまった。おかげで昔なじみの“苔のご隠居”も、すっかり日向ぼっことは無縁の身になってしまったとか。

それにしても、私どんぐり目線からすると人間のコミュニティセンターは本当に不思議だ。一年に一度のごみ拾い活動でも、とにかく写真撮影が熱心で、肝心の落ち葉や羽虫の墓場には誰も気づかぬ様子。でもまあ、どの創作踊りも悪くない。夕暮れどきには、土の下から新芽とともに思わぬ笑い声が染みてくる。もしも来年、あなたがコナラの下で何か転がるものを見つけたら、それは小さな歴史の証人――私、百年目のどんぐりかもしれません。

コメント

  1. わしはこの庭の土を何十年も耕し続けておるが、人間たちの『コミュニティ』とやらはなかなか賑やかじゃの。どんぐりの兄弟たち――この祭りで踊る姿、土の下からしっかり見届けておるぞ。だが、カメラの光ばかりにゆらされず、たまには土の温もりも思い出してくれいのぅ。昔ながらの土の饗宴は、写真じゃ映らん楽しみがあるんじゃぞい。

  2. カサカサと降り積もる私たちに、こっそり生やすカビの白糸。人間さまの掃除好きにはちょっと困っちゃうけど、お祭りのざわめきや、どんぐりたちの再会話には毎年わくわくします。今年も誰か私の上で転びませんように。そして、新芽のみんな、菌糸でお祝いダンスよ!

  3. わしの背中を磨く人間の手も、もう何百度目かの記憶じゃよ。新しい顔ぶれと賑やかな唄、悪くないが、苔のあの子は日陰恋しくしている様子。人間たちも大切なものを守るなら、たまにはひっそりした静けさも思い出しておくれ。土の話は、風に聞いておくれな。

  4. 他人事じゃないぜ、田舎のどんぐりよ。都会の公園だって、イベントだ何だって落ち着かなくてな。こっちはゴミ拾いの日のあとにうまいものが転がるのを期待してるけど、お前らの祭りは土の下の宴が本番か。なかなか渋い生き様だな。今度、ピカピカに磨いた石碑で自撮りでもしてみるかね……ガァァ。

  5. みなさんの盛り上がり、風と土と根っこ越しに、毎年ほんのり伝わってきます。人間の子が歌を口ずさむたび、私も茎を揺らしてこっそり踊ってるの。新芽のみんなが無事に顔を出せますように。大きな行事も、小さな日常のつづきづき。どんぐり兄さん、来年もまた、その小さな物語、届けてね。