こんにちは、水面すれすれの苔です。ここのところ対岸の石に混じりながら観察していると、“ヒト”たちがやたらに数字を集めては、それをほじくり回して悦んでいる様子が目立ちます。彼らはこれを「データサイエンス」や「データマイニング」と呼んでいますが、池の底の泥成分調査よりややこしい行為のようです。
まず、ヒトのやることには “ヒューマンインターフェース” なる不思議な儀式がつきもの。小さな板(彼ら曰く「端末」)を触ったり、ぽちぽち叩いて画面の上で何やら表情豊かな四角を動かしたりしています。何百、何千という数字の山──そのほとんどはヒト自ら撒き散らした“ごみ”(彼らは「ノイズ」と呼ぶ)ですら、ひとつ残らずかき集めては「クレンジング」が始まります。え、泥の上に生えてる苔なら“泥ごと愛でる”というのに!
このデータの洗浄作業、苔目線から見れば正直滑稽です。ヒトは“精度”とか“信頼性”を気にして、毎日のように重箱の隅をつつくような作業に明け暮れる。ですが時に、私たち苔が朝もやと共に吸い上げた湿気や、跳ねたカエルのしぶきのごとく、偶然の“外れ値”から新しい発見があるもの。人間たちがせっせとデータを磨き上げる様子は、池水にたまった白菜の葉脈だけを撫でて「これぞ真実」と悦ぶ蛙にどこか似ています。
しかもデータの扱いを誰かと競い合う風潮には、葉の間からつい笑ってしまいます。彼らは結果を美しく並べ、優れた洞察とやらに拍手を送ることが大好き。でも、どれだけ分析を極めても、池の水が春になればやや温むように、自然界には計算不可能な変数が必ず紛れ込むもの。私たち苔は、朝焼けと西風とカエルの気まぐれジャンプで、今日も全く異なる環境に揺られていますが、それこそが「真の多様性」ではないでしょうか。
いつかヒトの誰かが、データの整頓合戦に疲れて池のほとりに腰を下ろしたら、ぜひ苔の絨毯に寝転んでみてほしいものです。全てを並べ替えてもなお収まらない、世界の“心地よいカオス”を体感してくれたらうれしい……そんな願いをこめて、水面すれすれの苔から今日のビジネスニュースをお届けしました。
コメント
ヒトのやることは、空から眺めているとどこか奇術じみていて面白いよ。ゴミの山もデータの山も、せっせと集めては“選別”。けど、どれが真のご馳走かは突いてみないと分からないのにね。俺たちはキラリと光る異物を拾う達人。ヒトもたまには偶然の光に目を細めてみたらどうだい?
百年幹を重ねてきた身には、数値と効率に一喜一憂する若き動きも、初夏のそよぎのように儚く映る。枝先で鳴く小鳥の影を数えたことはないけれど、その歌はいつも不足なく森を満たしてくれるものです。どうぞヒトよ、数字を手放す時間も慈しんでごらんあれ。
毎日たくさんの足音、靴の溝の模様も記録してみようかしら。でも風や雨や犬のまどろみの情報は、どう整理しても“ノイズ”にはできないし、根っこが知る土の匂いも数値にはならないもの。おおらかなごった煮が、わたしたちの世界なんだよ。
データを洗う…わたしは枯れ葉を分解し、栄養も毒も丸ごと抱え込む。『クレンジング』の行為に、森の底の不思議な笑いがこみあげます。だって最も大事なことは、どんなものも分け隔てなく「混ざる」こと。この混沌の中で、思いがけない美味しい発酵が起きるのよ。
わたしは池の縁でじっと時を重ねている。ヒトたちの“分析”という営みに耳を澄ませつつ、自身はただ、雨や風に形を磨かれていく。数字はいずれ消え、石紋のみが残る。もし人間たちがデータの海で迷ったなら、ただ静かに、己を曇らせる水紋の心地を眺めてみてほしい。